2023年9月3日(日)

2023年9月3日(日)


『驚くべき近づきやすさ』

シカゴに暮らしていたとき、私の牧師だったビル・レスリーが、「神が近づいてくださる」という驚くべき変化について語ったことがある。

この地殻変動とも言うべきものを感じ取るには、レビ記の後に使徒の働きを読めばよいだろう。

旧約の礼拝者たちは神殿に入る前に身体をきよめ、祭司を通して神にささげ物をしたが、使徒の働きでは、神に従う者たち(そのほとんどが善良なユダヤ人だった)は個人の家に集まり、形式ばらない「アバ」という言葉で神を呼んでいる。

それは、「ダディ(お父ちゃん)」のような、家族の愛情を表す親しみを示す言葉で、イエス以前には、宇宙を統べ治める主なるヤハウェに対してだれも用いようとしなかったものだ。

この言葉は、イエス以降、初代教会のクリスチャンが祈りの中で神を呼ぶとき、普通に使われる言葉になった。

ジョン・F・ケネディが政権の座にあったとき、カメラマンたちはしばしばほほえましい場面を撮影した。
グレーのスーツに身を包んだ閣僚たちが、大統領のデスクを囲んで座り、キューバのミサイル危機のような重大問題を議論している。

そこへ、ホワイトハウスのきまりや国家の重大問題などお構いなしに、二歳のジョン・ジョンがよちよち歩いて来て、大統領の巨大なデスクによじ登った。

ジョン・ジョンはダディに会いたい一心で、ときどきノックもしないで大統領執務室へ入って来ては、父親を喜ばせた。
そのような驚くほどの近づきやすさが、イエスの使った「アバ」という言葉には込められている。

神は宇宙を統べ治める主であられるが、御子を通して、子煩悩な父親のように親しみやすいご自分を示された。

ローマ人への手紙8章で、パウロはさらに身近さを表すイメージを提示している。
神の霊は私たちの内に住んでおられる、と言うのだ。

そしてどのように祈ったらよいかわからないとき、「御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」と言う。

私たちはきよさの問題を心配しながらヒエラルキーのはしごを上って、神に近づく必要はない。
もしも神の国に「変わり種は認めない」という看板がかけてあったら、だれひとりそこへ入ることはできないだろう。

イエスは、銀貨を二枚投げ入れた貧しい女性や、ローマの百人隊長、あわれな取税人、十字架上の強盗たちの助けを求める声に、完全で聖なる神は喜んで耳を傾けてくださる、と説かれた。

ただ「アバ」と呼ぶだけでいい。
それができなければ、ただうめくだけでよい。
神はそれほど近くに来ておられるのだ。

God Bless You!!


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