2023年9月28日(木)
『驚きのボーナス』
「自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです」。
福音書の中で何度も繰り返し語られたこのイエスの言葉は、人生の逆説的な性質を簡潔にとらえている。
そのような言葉は最先端の心理学が説く「自己充足」の追求に逆行するものである。
そうだとすれば、現在の心理学は進展しているとは言えないことになる。
キリスト教は、真の充足がエゴの満足ではなく、他者への奉仕を通して得られるという、さらに進んだ洞察を提供しているわけだ。
これまでに訪れた大きな教会のことを考えるとき、心に思い浮かぶのは、ヨーロッパの大聖堂の姿ではない。
これらは今では単なる博物館となっている。
私が思い描くのは、ハンセン病療養所のチャペル、崩れたしっくいと雨漏りする屋根のニューアーク(ニュージャージー州北東部の町)のスラム街にある教会、コンクリートブロックとトタンで造られた、チリのサンティアゴのミッション教会だ。
悲惨な状態にある人々のただ中にあるこうした場所で、私はキリストの愛があふれているのを見た。
ルイジアナ州カールビルにあるハンセン病療養所は、この素晴らしい原理が働いているところだ。
そこは最初合衆国が買い取った。
国はその発展を約束したが、道路を清掃したり、建物を修繕したり、沼の干拓をしたりする人材を得られなかった。
ハンセン病の元患者のそばで働こうとする者がいなかったのだ。
そんなときに女子修道会の修道女たちが、ハンセン病の元患者の世話を買って出た。
日の出の二時間前に起床し、沼地の蒸し暑さの中、糊のきいた白い制服を着て、どんな海兵隊の特訓も及ばぬほど厳格な規律のもとで生活した。
この人たちだけが、その仕事を進んで引き受けたのだ。
修道女たちは溝を掘り、建物を修繕し、その土地を人の住めるところにした。
そうした作業の間もずっと神を賛美し、患者たちに喜びをもたらした。
彼女たちは、おそらくこうした献身的な奉仕の中で、最も深いレベルでの生における苦楽の結びつきを学び取ったことだろう。
もし薬や慰めや贅沢によって幸福を得ようとして人生を費やすなら、幸福は避けて通って行くだろう。
「幸福は、これを追い求める者たちから逃げて行くのだ。」
幸福は副産物として、また私が自らを投資し、注ぎ込んできたことに対する予想外のボーナスのように、不意にやって来るものだ。
そしてほとんどの場合、その投資には多くの痛みが伴う。
痛みなしの喜びは想像することができない。
God Bless You!!
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