2023年9月21日(木)

2023年9月21日(木)


『上流からのスタート』

私の家は大きな山を目の前にした渓谷にある。
春の雪解けの時期や大雨の後、この山を流れるベアクリーク川は水かさを増す。
泡を立てて岩にぶつかりながら流れるさまは、小川(クリーク)どころか立派な川(リバー)だ。

この川で何人もが溺れている。
あるときベアクリーク川の水源を山頂にたどった。
雪原に立つと、あちこちに「サンカップス」が顔を出している。
雪解けのときに咲く、ぎざぎざのついた椀型の花だ。

下のほうでこぽこぽと静かに流れる音が聞こえ、雪の端に細い水の流れが滲み出ている。
それが集まって水たまりを作り、高山の小さな池になり、その池の水もあふれ出ると、山を下る長い旅が始まる。

やがて別の細流と合わさって、わが家を下ったところを流れる小川になる。

祈りについて考えると、自分が方向を誤ってばかりいることに思い当たる。
関心事を携えて下流からスタートし、それを神にもっていく。

神に、神がまだご存じでないかのように伝える。
御心を変えていただき、神が不本意ながらもそれをかなえてくださるのではないか、と期待して嘆願する。

しかし、私は流れの始まる上流からスタートすべきなのだ。
方向を変えると、神は、おじの癌、世界の平和、壊れた家庭、反抗的な十代の子どもといった心配事について、すでに私以上に考えてくださっていることがわかる。

恵みは水のように最も低いところに向かって降りて行く。
あわれみの小川が流れるのだ。

地上の出来事に根本的な責任を負ってくださる神と一緒にスタートし、地上における神のお働きの中で自分はどんな役割を担えばよいのですか、と尋ねる。

預言者アモスは叫んだ。
「公正を水のように、義を、絶えず流れる谷川のように、流れさせよ」。

私は土手に立っていようか、それとも流れに飛び込もうか。

この新しい祈りのスタート地点に立つと、認識が一変する。
自然の中に、野の花や金色に輝く高山の樹木だけでなく、偉大な芸術家の署名も見えてくる。

人を見ると、「あわれな裸の二本足の動物」だけでなく、神のかたちに造られた永遠の運命をもつ人間も見える。
義務でなく自然な反応として感謝と賛美が湧き起こる。

God Bless You!!


a:6 t:1 y:0