2023年9月2日(土)

2023年9月2日(土)


『分極化の政治』

圧政からの解放をイエスに期待した人々は、イエスの選んだ仲間たちを見て、戸惑った。
イエスは搾取される側ではなく、明らかに搾取する側の外国人の仲間、取税人の友として知られるようになった。

イエスは当時の宗教体制を糾弾したが、ニコデモのような指導者には尊敬の念をもって接せられた。
そして金銭や暴力の危険性について語ったが、若い裕福な役人やローマの百人隊長には、愛とあわれみを示された。

要するに、イエスは相手に同意するにせよ、しないにせよ、その人の尊厳を重んじられたのだ。
イエスの御国は、人種や階級といった仕切りに基づくものではなかった。

五人の夫をもったサマリアの女であろうが、十字架の上で死にかけている盗人であろうが、だれでもイエスの御国に喜んで迎え入れられた。

どんな区別やレッテルよりも人間のほうが重要だった。
私は自分の堅く信じる大義に夢中になるたびに、イエスのこうした性質を思い出して罪責感にさいなまれる。

分極化の政治に加わり、ピケラインの向こう側の「敵」に向かって叫ぶのはなんと容易なことだろう。
人工妊娠中絶手術を行う診療所から出て来た女性(と、その医師)、乱れた性生活を送り、死を迎えようとしている人間、神の被造物を搾取している裕福な地主。

こうした人々を愛するようにという神の国の要求を思い起こすのは、なんと難しいことか。
そうした人々に愛を示せないなら、本当にイエスの福音を理解しているだろうかと自問しなければならない。

政治運動は本来、線引きをし、区別をつけ、判断を下すものだ。
それとは対照的に、イエスの愛は線を越え、区別を飛び越し、恵みを分け与える。

論点がいかに価値あるものであろうと———右翼陣営の堕胎反対にしろ、左翼陣営の平和と正義の推進にしろ———政治運動は、愛を窒息させる覆いのような力に自らを引き込む危険を冒している。

どのような活動に加わるにせよ、それが愛や謙遜を放逐してはならないこと、そうでなければ天の御国を裏切ることになることを、私はイエスから学んでいる。

God Bless You!!


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