2023年9月18日(月)

2023年9月18日(月)


『内なる芸術』

チェコ生まれの作家ミラン・クンデラは、ゲーテの「人生は芸術作品に似るべきだ」という考えに、常に異議を唱えていた、と書いている。

クンデラは、人生があまりにかたちがなく予想のつかないものであるがゆえに芸術が生まれるため、芸術は人生に欠けている構造と解釈を与えるのだろうかと不思議に思った。

そんな彼も、友人のバーツラフ・ハベルは例外であると認めている。
ハベルはクンデラのように作家として出発しながら、チェコ共和国の大統領になり、この時代の強力な道徳の声となった。

クンデラの目にも、ハベルの人生には一貫して主題があり、ゴールに向かって少しずつ継続的に進歩しているように見えた。

クンデラとハベルの作品を読むと、根底の見解にその違いがあるようだ。
大方のポスト・モダンの思想家にとってそうで あるように、クンデラにとっても人生に「メタ物語」はなく、人生がどこから来てどこへ行こうとするかを説明する意味はない。

しかし、ハベルにはそれがある。
彼は次のように嘆いている。

「大いに必要が叫ばれている地球規模の責任という危機は、原則的に次の事実のせいであると、いよいよ確信するようになった。
すなわち宇宙、自然、存在するものや私たちの人生は明確な意図によって導かれる創造の作品であり、その意図には明確な意味があり、明確な目的に従っている。
その確信を私たちが失ってしまったという事実のせいであることを。」

クリスチャンは(ハベルは自らをクリスチャンと明言したことはない)、人生一般だけでなく、個々の人生もすべて潜在的芸術作品と考える。

私たちは神とともに、素材から何か永続的な美しさを創り出している。
人間は人生で小さな物語を書いているが、それは大きな物語の一部であり、その筋書きはおおざっぱにわかる程度だ。

古いタルムードのことわざは言う。
「あなたにその仕事を終わらせる責任はないが、その仕事を始めない自由もない。」

その仕事とは神の仕事、ひどく傷ついた星を回復させ、贖う仕事だ。
ユダヤ人にとってもクリスチャンにとっても、その仕事は、私たちの手が触れるところどこにでも平和、正義、希望、癒し、「シャローム」の気配をもたらすことだ。

クリスチャンにとって、それはイエスの弟子としてそうすることを意味している。
イエスは、私たちには決して果たすことのできない贖いを成し遂げてくださったのだ。

God Bless You!!


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