2023年9月14日(木)

2023年9月14日(木)


『母の愛』

セラピストのエーリッヒ・フロムは、バランスのとれた家庭に育つ子どもは二種類の愛を受けると言う。

母親の愛は無条件であることが多く、どんなことをしても、何があっても、子どもを受け入れる。
父親の愛はもっと条件付きで、行動がある基準に達するとき、子どもを是認する。

フロムが言うには、理想的には子どもは両方の愛を受け取り、吸収するべきだ。

遠藤周作は、日本は権威主義的な父親のいる国であり、父としての神の愛は理解してきても、母としての神の愛は理解してこなかったと言う。

キリスト教が日本人の心に届くためには、母としての神の愛を強調しなければならない、と遠藤は結論する。
過ちを赦し、傷をいたわり、他者を無理やりでなく、愛そのものに引き寄せる愛でだ。

「エルサレム、エルサレム。
……わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集りようとしたことか。
それなのに、おまえたちはそれを望まなかった」。

「『母の宗教』において、キリストは売春婦、価値のない人々、不格好な人々のもとへやってきて、彼らを赦している」と遠藤は言う。
その目には、イエスは母の愛とメッセージを携えて、旧約聖書の父の愛とバランスをとろうとしたかに見えた。

母の愛は、どんな弱さをも赦す。
遠藤にとって、弟子たちを本当に感動させたのは、キリストを裏切った後ですらも、キリストが彼らをなお愛している、という気づきだった。

過ちを指摘されることは、別に新鮮なことではないだろう。
だが、過ちを指摘されながらも、なお愛されている。
それが新鮮なのだ。

『イエスの生涯』には、イエスのもつ母の愛のような特徴があふれている。

「痩せて、小さかった。
彼はただ他の人間たちが苦しんでいる時、それを決して見棄てなかっただけだ。
女たちが泣いている時、そのそばにいた。
老人が孤独の時、彼の傍にじっと腰かけていた。
奇蹟など行わなかったが、奇蹟よりもっと深い愛がそのくぼんだ眼に溢れていた。
そして自分を見棄てた者、自分を裏切った者に恨みの言葉ひとつ口にしなかった。
にもかかわらず、彼は『悲しみの人』であり、自分たちの救いだけを祈ってくれた」。

イエスの生涯はたったそれだけだった。
それは白い紙に書かれたたった一文字のように簡単で明瞭だった。

God Bless You!!


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