2023年9月1日(金)
『恵みの分配』
イエスの革命は、「異なる」人々に対する私の見方に大きな影響を与えている。
イエスの示した手本は今の私に有罪宣告を下す。
イエスという模範の逆方向へわずかながらも進んでいると自覚しているからだ。
社会が崩壊し、不道徳が力を増すとき、あわれみの心を抑え、もっと道徳を主張すべきだというクリスチャンの主張を耳にするが、それは旧約聖書のスタイルに戻れということだ。
ペテロとパウロが使っている、私が大好きなイメージの言葉がある。
この二人の使徒は、人間には神の恵みを与えたり「分配」したりする義務がある、と言う。
そのイメージは、スプレー技術が開発される前に女性たちが使っていた旧式の「噴霧器」を思い起こさせる。
ゴム球をぎゅっと握ると、反対側の小さな穴から香水が吹き出す。
一人分にはほんの数滴で十分で、二、三回も噴射すると部屋の空気が一変する。
恵みの働き方もこのようだと思う。
世界や社会全体を変えたりはしないが、その雰囲気を豊かなものにする。
クリスチャンの一般的なイメージが、香水噴霧器から、害虫駆除業者の使う殺虫スプレーに変わってしまったのではないかと心配している。
「ゴキブリだ!」
ギュッ、シューツ、ギュッ、シューッ。
「害虫がいるぞ!」
ギュッ、シューツ、ギュッ、シューッ。
私の知るクリスチャンの中には、悪の横行する地域社会のために「道徳上の悪駆除業者」の仕事を引き受けている人たちがいる。
私はこの社会に深い関心をもっているが、イエスの示されたあわれみの力に心を打たれる。
イエスが来られたのは、健康な人のためではなく病人のため、正しい人のためではなく罪人のためだった。
イエスは決して悪を大目に見ることはなかったが、いつでも赦そうとしておられた。
どういうわけかこのイエスは罪人の友という名声を得たが、この名声こそ、イエスに従う者たちが今日失ってしまう危機に瀕しているものだ。
ドロシー・デイが言うように、「私は、自分が最も愛せない人を愛するほどしか神を愛していない」。
God Bless You!!
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