2023年8月31日(木)
『嘘とは思えないこと』
最後のメッセージを抜きに、預言書の要点をつかむことはできない。
預言者たちは、世界は「宇宙の最終的な破滅」ではなく、喜びのうちに終わると声高に述べている。
旧約聖書にある十七の預言書はどれも、希望の言葉に行き着いている。
預言者たちの声は、世界の壁の向こうにある喜びを描くところに来ると、小鳥のさえずりのように高らかに響きわたる。
終わりの日、神はこの世を絨毯のように巻き上げ、新しく織り直される。
狼と子羊は野で共に食し、獅子も牛の傍らで平和に藁をはむ。
マラキは言う。
いつの日か、私たちは舎の子牛のように跳ね回る。
そのときは、恐れも痛みもない。
幼子が死ぬこともなく、涙を流すこともない。
国々には平和が川のように流れ、軍隊は武器を溶かして農具に作り変える。
その日、神が隠れておられると文句を言う者はいない。
神の栄光が地に満ち、それに照らされると太陽すらもかすんで見える。
預言者たちにとって人間の歴史は、それ自体で完結するものではなく、あのエデンの園と、神がやがて創造する新天新地との間にある過渡期なのだ。
あらゆることが手に負えなくなっているように見えても、神はすべてをしっかりと支配しておられる。
預言者たちの見た未来の世界に、何の慰めも見いださない人々もいる。
彼らは言う。
「教会は何世紀も、奴隷制度や圧政、あらゆる不正を正当化するためにそのくだりを使ってきた。
貧しい人々がこの世で多くの要求をしないようにと、天国の希望を押しつけたのだ」と。
この批判は当たっている。
教会は預言者たちの見た幻を悪用してきた。
だが、その「絵空事」の理論的根拠は預言者たち自身にはない。
彼らは、未亡人や身寄りのない子ども、異邦人の世話をし、裁判所や宗教組織の腐敗を一掃する必要のあることを、手厳しく語っている。
神の民は、神が介入してすべての間違いを正してくださるまで、ぐずぐずしていてはならない。
むしろ、新天新地を模範とし、神がいつの日か実現してくださるものを求める気持ちを呼び覚ますべきなのだ。
God Bless You!!
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