2023年8月29日(火)
『遮られない光』
私はかねてから神に、直接的で具体的なお働きをと願い求めてきた。
ご自身を現してくださりさえしたら!
しかし、イスラエル人の度重なる失敗談から気づかされるのは、神があまりに直接的に働かれると、必ず「不利」が伴うということだ。
イスラエルの民がすぐさま直面した問題は、個人の自由がないことだ。
聖なる神の間近で生きるイスラエル人にとって、性交も月経も衣服の素材や食習慣など、一つとして神の律法の範囲外にはなかった。
「選ばれた民」であるためには、それだけの犠牲が必要だった。
神にとって、罪深い人間の中に生きることがほぼ不可能であるように、イスラエルの民が、聖なる神をすぐそばに見ながら生きることもほとんど不可能だった。
礼拝者たち自身の言葉を聞いてみるといい。
「ああ、われわれは死んでしまう。
われわれは滅びる。
全員が滅びるのだ。
すべて近づく者、主の幕屋に近づく者が死なければならないとは」。
また、「私の神、主の御声を二度と聞きたくありません。
この大きな火はもう見たくありません。
私は死にたくありません」。
偉大なる科学者アイザック・ニュートンは、鏡に映った太陽を見つめる実験を行ったことがある。
結果、太陽の明るさが網膜に焼きつき、一時的に目が見えなくなった。
雨戸を閉めて、暗闇の中で三日間引きこもった後でも、視野から明るい斑点が消え去ることはなかった。
彼は、「あらゆる手を使って自分の思いを太陽からそらせようとした」という。
「だが暗闇にいても、太陽の明るさを思うなり、その姿が見えてしまう。」
もう二、三分太陽を見つめていたら、視力を永遠に失っていたかもしれない。
視力をつかさどる網膜は、直射日光の威力には耐えられないのだ。
このニュートンの実験から、イスラエル人が荒野の旅で学んだことを説明できる。
彼らは、目に見える形で姿を現された、全宇宙を統べる主とともに生きようとした。
だが、喜々としてエジプトを逃れた何万人もの民のうち、ご臨在に耐えて生き延びたのは二人だけだった。
蝋燭の光を見つめるのが精いっぱいの者に、太陽を見ることができようか。
預言者イザヤは言った。
「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられるか」。
神が隠れておられることに私たちは失望するどころか、感謝すると言えないだろうか。
God Bless You!!
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