2023年8月24日(木)

2023年8月24日(木)


『隔たりを縮めること』

この星にある苦痛や不正、恐怖を、イエスは他のだれとも違ったふうに見ておられた。

イエスは目覚めている間、いつもそのようなことに気づいておられたから、夜の眠りを奪われていたのではなかっただろうか。

イエスご自身の思いをそのような意識が揺さぶっていたのではなかっただろうか。

いや、イエスは地球全体に対する思いを父なる神にゆだね、その代わり、取税人、漁師、やもめ、売春婦、世間から見捨てられた人々の中でご自分の時間を過ごされたのだ。

イエスにとって、父なる神と話すこと———祈り———は、群衆に語りかけることより大切だった、とヘルムート・ティーリケは記している。

「そして、それが人々に割く時間をイエスがもっておられた理由なのです。
すべての時間は父なる神の御手の中にあるのだから。
それはイエスから不安でなく平安がなくならない理由でもあります。

神の誠実さはすでに虹のように世界に広がっているのだから。
イエスは虹をつくる必要がありません。
ただ、虹の下を歩けばよいのです。」

イエスに従う私たちもまた、神の誠実さが虹のように世界に広がって、イエスご自身がその誠実さの最高の証拠を示しておられることを信じている。

そのような信仰を限界まで試す時がやってくるだろう。
私自身はそのような時に直面したら、絶望の祈りを叫ぶ。

大きな絵を信じて、もう一度大局的な視点に立つ、神の視点であらためて見るという希望をもって、何も見えない暗闇の中で前進する祈りだ。

そして物事が順調に運んでいるときは、矛盾するようだが、神との会話が続くように、また神が私の人生の細かなところまで心にかけてくださっていると信じるために、いっそう努力するに違いない。

私は神が関係の継続を望んでおられることに驚き、またそれを信じて祈る。
祈りという行為が、神のつくられた方法であり、無限と私との広大な裂け目を埋めると信じて祈る。

地上において神の癒しが働く流れに身を置くために祈る。
私は息をするように祈る。
そうせざるをえないからだ。

祈りはコミュニケーションの完璧なかたちではない。
物質でできた不完全な星に住む、物質的で不完全な存在である私が、霊的で完全な御方に手を伸ばそうとしているからだ。

聞かれない祈りもある。
神の臨在感は、あったりなかったりする。
そして解決以上に神秘を感じることも多い。

それでも私はパウロとともにたゆまずに祈る。
「今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」と信じながら。

God Bless You!!


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