2023年8月11日(金)

2023年8月11日(金)


『仕えるか、死ぬか』

ポール・ブランド博士は、インドのベロアにあるハンセン病療養所の所長をしていたが、そこにやって来た最も思い出に残る訪問者の話をしてくれた。

ある日、ピエールというフランス人の托鉢修道士が現れた。
それから数週間をブランド家の人たちと過ごし、身の上を語った。

高貴な家に生まれ、フランス議会で働いていたが、政治の遅々とした変化に幻滅した。
第二次世界大戦後、ナチス占領の影響でパリがいまだ落ち着きのなかったとき、通りにはホームレスの物乞いが何千人も暮らしていた。

これほど多くの人が路上で飢えているときに、上流階級の者や政治家たちがいつまでも議論ばかりしていることが、ピエールには耐えられなかった。

いつになく厳しかった冬、パリジャンの物乞いが大勢凍死した。
ピエールは絶望して職を辞し、物乞いのために働くべくカトリックの托鉢修道士となった。

この人たちの組織をつくることが唯一の希望だと確信し、退屈な低賃金の仕事を効率的に行う方法を教えた。
すると物乞いの人々はいくつかのチームに分かれて町を隈なくさらい、ビンやぼろ布を集めた。
そして、捨てられた煉瓦で倉庫を建て、ホテルや事業所から出た大量の使用済みのビンを仕分け・貯蔵する事業を展開した。

最後にピエールは一人ひとりを励まして、もっと貧しい人々を助ける責任をもたせた。
このプロジェクトに火がつき、数年も経つと、エマオという組織がつくられ、ピエールの仕事は他の国々にも広がっていった。

だが、今この組織は危機に瀕していた。
この仕事を何年か続けるうちに、パリに物乞いが一人もいなくなったからだ。

ピエールは宣言した。
「彼らが助けることのできる人を探さなければなりません!
彼らより悲惨な状態にいる人々が見つからなかったら、この運動は内側に向かうでしょう。
彼らは強く豊かな組織となり、霊のインパクトはすっかり失われます。
仕える相手がいなくなるからです!」

八千キロ離れたインドのハンセン病療養所で、ピエール神父はついにパリの危機の解決策を見いだした。
彼の出会った何百人ものハンセン病患者の多くが不可触賤民の出であり、それまで出会った物乞いよりも、あらゆる点で悲惨な状態にあった。

彼らに会うと、ピエールの顔に笑みがこぼれた。
そしてフランスの物乞いたちのところへ戻ると、彼らを動員してベロアの病院に病棟を建設した。

贈り物をもらって感謝しているインドの人々にピエールは言った。
「いいえ、いいえ、あなたがたこそ私たちを救ってくださったのです。
私たちは仕えなければなりません。
そうしないと、死んでしまいます。」

God Bless You!!


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