2023年7月7日(金)
『しゃくにさわる説教』
友人のヴァージニア・ステム・オーエンズが、テキサスA&M大学の創作の授業で、山上の説教を題材にした短いエッセーを書く課題を与えた。
バイブル・ベルトが横断しているテキサスだから、学生たちはこの主題には基本的に尊敬の念をもっているはずだとヴァージニアは思っていた。
だが、学生たちの反応から、すぐにその考えが誤りであることに気づかされる。
ある学生は、「私の意見では、宗教とは一つの大きな悪ふざけです」と書き、別の学生はこう書いた。
「『書かれていることをすべて鵜呑みにすべきではない』という古い警句がありますが、それはこの場合にも当てはまります」と。
ヴァージニアは、教会学校で山上の説教を教わったときのことを思い出した。
パステルカラーのポスターの絵には、興味津々で興奮した面持ちの子どもたちに囲まれて、イエスが緑の丘に腰を下ろしていた。
怒りや嫌悪感を覚えるなど思いもよらないことだった。
しかし学生たちの思いは違っていた。
「教会で説教されている内容はきわめて厳格で、楽しみについては、それが罪に当たるか否かだけしか考慮されない。」
「私は『山上の説教」について書くのが嫌いだった。
読むのが難しいし、完全な人などいないのに、自分は完全でなければならないという気にさせられた。」
「この説教の要点はばかげている。
女性を見ることが姦淫になるのだ。
これほど極端きわまりなく、ばからしく、非人間的な主張は聞いたことがない。」
「このとき、元気が出てきたんです。」
ヴァージニアはそのときの経験をこう書いている。
「イエスなんて、ばか呼ばわりしてやればいいのだ———こうした思いには、何かこの上なく無垢なものがあります。
……これこそ真実で、2000年の文化の霧に遮られていない、福音に対する原初的な反応でした。
……聖書が、正直で無垢な者の耳には一世紀と同様、依然不快なものであるということに、不思議にも元気づけられました。
私にとって、それはどういうわけか事の重要性を確認させてくれるものなのです。
聖書に特徴的な辛辣な風味は、過去一世紀の間にほとんど失われてしまいましたが、聖書に無知な人がこれほど増えてしまった今、私たちは一世紀の最初の聴衆が置かれていたのとよく似た状況に放り出されているはずです。」
God Bless You!!
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