2023年7月5日(水)
『恵みに癒された目』
イエスはこの世との関わり合いの中で、八つの幸いで告げられている「どんでん返し」を実践された。
この世では通常、金持ちや美男美女、成功者が敬われる。
しかし神の恵みは、新たな論理で働く世界をこの世に導入する。
神は、貧しい者、苦しむ者、迫害されている者を愛されるのだから、私たちもそうすべきなのだ。
神の目には望ましくない者など存在しないのだから、私たちの目もそうあるべきなのだ。
イエスはご自身を例に、エイレナイオスの言った、「恵みに癒された目」でこの世界を見よと私たちに挑まれたのだ。
その使命は、イエスのたとえ話に強調されている。
イエスは貧しい者や抑圧された者を話の英雄になさることが多々あった。
ラザロという貧しい男———イエスのたとえ話で唯一名前をもった人物———を主人公に描いた話もその一つだ。
ラザロは金持ちの男に搾取されていた。
最初、金持ちは贅沢な着物や食べ物を楽しんでいたが、物乞いのラザロは金持ちの家の門の外で、犬とともに傷だらけの身体を横たえていた。
ところが死は彼らの運命をあっと驚くほど逆転させる。
金持ちはアブラハムの声を聞く。
「子よ、思い出しなさい。
おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。
しかし今は、ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえている」。
この手厳しい話は、経済的に低い階層に属する者の多かった初期クリスチャンの意識に深く染み入った。
教会はしばらくの間、この新しい論理に従おうと懸命に働いた。
その結果、初期クリスチャンが貧しい人々や苦しむ人々を助けると、それがローマ帝国で有名になった。
クリスチャンは、異教を信じる隣人たちと異なり、友人を野蛮な捕獲者たちから快く買い戻した。
疫病が襲うと、異教徒は症状の出始めた病人を見捨てたが、クリスチャンは介抱した。
少なくとも初めの二、三世紀、教会はよそ者を受け入れ、裸の者には衣服を着せ、飢えた者には食べさせ、捕らわれている者を訪問するようにというキリストの命令を文字どおりに受けとめていた。
教会史家たちによれば、この良きわざはコンスタンティヌスの勝利に至るまで続行された。
コンスタンティヌス帝はキリスト教信仰を公認し、帝国の正式な教会を設立した。
その時点から、教会は貧困を精神の貧困ととらえ、「福祉」を皇帝に預けるようになった。
そのうち教会自体が裕福な体制の一部となってしまった。
God Bless You!!
a:8 t:1 y:0