2023年7月31日(月)

2023年7月31日(月)


『人間のサイクル』

フランスの社会学者ジャック・エリュールは現代世界を観察して、驚くべき流れに目を留めた。
キリスト教の福音が社会に浸透すると、かえって、福音と矛盾する価値観を生み出す傾向があるというのだ。

この不思議な展開はどうして起こるのか。
ワシントンDCの「救い主の教会」の創立牧師ゴードン・コスビーの著作に、一つの手がかりを見つけた。

コスビーは、「熱心なキリスト教コミュニティーは、強い献身意識をもって始まり、規律ある生活を送る。
献身と規律を中心にしてまとまったグループは、豊かさを生み出す傾向にあるが、まさにその成功こそがついには規律を破壊し、耽溺と退廃に至る」と記している。

コスビーはこのパターンを、「修道院のサイクル」と呼んでいる。

初期のベネディクト修道会の人たちは懸命に働いて森を切り開き、土地を耕し、余剰資金を排水、家畜、種苗に投じた。

ところが600年後、「ベネディクト会の修道院は実質的に霊的な組織であることをやめていた。
彼らは上流階級の人々のために確保される大学の閑職に就いていた」と、歴史家ポール・ジョンソンは言う。

大修道院長は今や、その贅沢な生活様式を維持するために、修道院の歳入の約半分を使い込んでいた。
その時代のベネディクト会の人々の大半が「冒険心に欠けた上流階級の寄生虫」になったとジョンソンは見ている。

ドミニコ会、イエズス会、フランシスコ会もこのサイクルをなぞった。
まず献身と規律が突発的に登場し、豊かな時代となり、それから耽溺へ向かい、改革者たちが現れて創立者の理想を復活させるのだ。

プロテスタントの改革者たちも同様な挑戦を行った。

旧約聖書が述べているように、あらゆる国が同じパターンに陥り得る。
「修道院のサイクル」というよりも「人間のサイクル」と呼ぶべき傾向かもしれない。

そもそもアダムとエバも楽園には短い期間しか滞在せず、それ以来、人間は繁栄と成功をしっかりと取り扱う能力に著しく欠けていることを示してきた。

私たちは困ると、神に顔を向け、事態が好転すると神を忘れる。
この傾向を数多くの国に見て、私はイエスが富について警告を発し、貧しい人々や迫害されている人々を「幸い」と呼んだ理由がわかるようになった。

困窮した人々は絶望の底から神のほうを向く。
その一方で、私は自分の生きている社会を心配している。

この社会は主として富と力に依拠しており、空きスペースは娯楽で埋めている。
豊かな時代に生きる私たちに、「修道院のサイクル」を打ち破る方法を見つけることはできるのだろうか。

私たちの未来の健康は、この問いの答えにかかっているのかもしれない。

God Bless You!!


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