2023年7月20日(木)
『十分な血』
1987年、ベルファスト西部の小さな町において、復員軍人の日に戦没者を称えようと集まっていたプロテスタントグループの真ん中でIRAの爆弾が爆発した。
11人が死亡し、63人が負傷した。
ところが負傷者の一人、ゴードン・ウィルソンの言葉が、このテロを数多くの他のテロ行為と全く別ものにした。
ウィルソンは敬虔なメソジストだった。
この爆弾テロによってウィルソンと20歳になる娘は1.5メートルもあるコンクリートと煉瓦の下敷きになった。
「パパ、愛しているわ。」
これが、マリーが救出を待ちながら父親の手を握りしめて語った最後の言葉だった。
新聞は後にこう報じた。
「そのとき政治家たちが言ったことを、だれも覚えていない。
しかし、ゴードン・ウィルソンの話を聞いた人は決してそれを忘れないだろう……。
彼の恵みは、爆弾テロリストたちの哀れな言い訳の上に高くそびえ立っていた」と。
ウィルソンは病院のベッドで語った。
「私は娘を失いました。
でも、不平は言いません。
憤怒に駆られた言葉を発しても、マリーは戻ってきません。
私は祈ります、今夜、そして毎晩。
神が彼らをお赦しになるように、と。」
彼の娘の最後の言葉は愛だった。
そしてゴードン・ウィルソンは、その愛の飛行機に乗って人生を生き抜く決意をする。
ウィルソンがその週BBC放送のラジオで同様のインタビューを受けたとき、「世界が泣いた」と報道された。
ウィルソンは退院後、プロテスタントとカトリックの和解を目ざす改革運動を導く。
プロテスタント過激派は報復爆撃を計画していたが、ウィルソンに対する世間の注目度があまりに高いため、報復行為は政治的に意味がないという結論を下す。
ウィルソンは娘のことを本に書き、暴力反対の声をあげ、いつも「愛こそ決め手」という文句を繰り返した。
IRAと会い、個人として彼らの行為を赦し、武器を捨てるように頼んだ。
「あなたたちも私と同じように、愛する人を失ったことを知っています。」
彼は語りかけた。
「確かにそうです。
でももうたくさんです。血はもう十分に流されました。」
アイルランド共和国は最終的にウィルソンを上院議員に選出する。
彼が1995年に亡くなったとき、北アイルランドとグレート・ブリテン全体が、この一人のクリスチャン市民を称えた。
彼が名誉を得たのは、類い稀なる恵みと赦しの精神ゆえだった。
God Bless You!!
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