2023年7月18日(火)

2023年7月18日(火)


『観客は一人』

『キャンパス・ライフ』誌で働く若いジャーナリストだったころ、アシスタント女性の机に置かれていた飾り板に、二行の詩が書かれていた。

あっという間に過ぎ去る 一度限りの人生
存続するのは キリストのためになされたことのみ

それを読むたびに、はっとさせられた。
だが、それが真理であると信じていても、どうしたら実行できるのだろうか。

車のオイルを替えたり、テレビでシカゴベアーズのフットボールの試合を見たり、休憩時間に階下でおかしな話を交わし合ったり、ミシガン湖に出かける計画を立てたり、原稿をタイプしたりといったことは、キリストのためになされる行為だろうか。


に見えない世界への私の信仰が、どうしてこの目に見
える世界の日々の生活に影響するのであろうか。

イエスによれば、自分が他者にどう思われているかは、たいした問題ではない。
神にどう思われているかのほうがはるかに重要だ。

他人から霊的な人だと認められるような公の場所でなく、父なる神だけがあなたをご覧になる、扉を閉めた部屋で祈るように、とイエスは言われた。

他者のためではなく神のために生きるように、ということだ。

私はいつも注目され、何かを達成したいと思っている。
イエスは私を招いて、その競争から解放させようとなさる。
究極的に重要なのは私に対する神の意見だけだと信じさせようとされる。

神秘家マダム・ギュイヨンによると、「宇宙には道徳生活の二原則がある。
一つは、私たち、すなわち最も有限で個人的な善を中心に置く原則。
もう一つは、普遍的に良い御方と呼ぶことのできる神を中心に置く原則である」。

私の霊の彷徨は、管理センターを自分自身から神に移行させる努力であったと言えるだろう。

神という観客に向かって心から演じるならば、また、「自分は何がしたいのか」とか、「他人から認められるにはどうしたらよいのか」と問うのでなく、「神は私に何をさせるのだろうか」と常に問いかけたら、人生はどれほど違ったものになるだろう。

私のエゴや競争意識は確実に色褪せるだろう。
もはや他者に自分を示そうと悩む必要がないのだから。

代わりに、人々が引きつけられたイエスのような生き方をして、神を喜ばせることに専心できるだろう。

God Bless You!!


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