2023年7月16日(日)

2023年7月16日(日)


『激しく対立するもの』

アンドリュー・グリーリーは言った。
「人が人生から不確実性、緊張、混乱、無秩序を抹殺しようとするなら、ヤーウェともナザレのイエスとも関わり合う意味がなくなる。」

私は、神との関係は秩序、確実性、そして落ち着いた合理性を人生にもたらすものと期待しながら成長した。
ところが信仰に生きるとは、ダイナミックな緊張を多く含むものであることを発見した。

教会史を通してキリスト教の指導者たちは、すべてを明確に定義しようとする衝動、行動と教理を正誤テストで答えられる原理に還元しようとする衝動をさらけ出してきた。

しかし、この傾向が聖書の中に見いだせないのは重要なことだ。
むしろ聖書に見られるのは神秘と不確実性で、この二つは、どんな関係においても見られる特徴だ。

完璧な神と過ちを犯す人間との関係では、なおさらだ。

G・K・チェスタトンの神学の実質的な礎石となった忘れがたい言葉がある。
「キリスト教は激しく対立する二つのものを一つにまとめる難事をやってのけた。
しかもその方法は……二つのものを二つながらまったく生かして、二つのまま、激しいままに包みこむ方法だった」。

異端はおしなべて、一方を犠牲にして、もう一方を支持することで生まれる。

逆のことを快く思わない教会は一方から他方へと傾くきらいがあり、それによって破壊的な結果がもたらされるのはよくあることだ。

最初の数世紀に神学者たちが書いたものを読むといい。
私たちの信仰の中心であり、完全に神であり完全に人でもあるイエスを理解しようとして書いたものだ。

宗教改革の神学者たちの書いたものも読むといい。
彼らは神の主権の堂々とした暗示を発見し、それから後に続く人々があきらめに至る運命主義に落ち着くことがないよう懸命に努力した。

今日の神学者たちが書いたものを読むと、そこで論じられているのは、書かれた啓示の複雑性だ。
聖書は神から私たちへの言葉だが、知性も性格も書き方も大きく異なる人々が書いたことが論じられている。

最初のものが最後になる。
いのちを失うことによっていのちを得よ。
愛がなければどんな働きも意味がない。

あなたがたのうちに働くのは神なのだから、恐れおののいて自分の救いに努めよ。
神の国は到来したが、完全に到来したのではない。

幼子のように天国に入れよ。
仕える者がいちばん偉大である。
人があなたをどう思っているかではなく、あなたが他の人をどう思っているかによって自分の価値を測れ。

最も腰を低くする者が最も高く上る。
罪の増し加わるところでは恵みはそれ以上に増す。
私たちはただ信仰によって救われるが、働きのない信仰は死んでいる。

———こうした人生の深遠な原理はすべて新約聖書に書かれているが、いずれの原理にもきれいな論理的一貫性を汲み取ることはできない。

英国の牧師チャールズ・シメオンによると、「真理は中間にはなく、一方の極端の中にもなく、両方の極端の中にある」。

私も渋々それに同意するようになった。

God Bless You!!


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