2023年7月11日(火)

2023年7月11日(火)


『医者の命令』

ナイフを振り回すマスクの男に出会ったことがある。
といっても、それは整形外科医で、私は足の手術をしてもらったのだ。

横になったまま過ごす回復期は、自分があえて選んだ痛みについてじっくり考える機会となった。
痛い思いは、良い結果につながることもあれば、そうでないこともある。

診察を受けに行ったある日、時期尚早だがゴルフの試合に行かせてもらえないかと頼んでみた。
「親しい仲間で年に一度だけ集まる、とても大切な試合なのです。
スイングの練習もしてきました。
使うのは上体だけで、両足と腰は動かさないようにすれば、試合に出ても差し支えなくありませんか。」

主治医は微塵もためらいを見せずに答えた。
「向こう二か月ゴルフをなさったら、私はとても悲しく思いますよ。」

あとで医師のそのおかしな表現を妻に話し、冗談めかして言った。
「主治医が悲しいかどうか、どうしてぼくが気にしなくちゃならないんだ。
ぼくは彼の精神科医じゃないんだよ。」

要点は明白だった。
自身もゴルフをする主治医は、私の欲求不満をよく理解していた。
しかし、私にとっての最善を考えてくれていたのだ。

患者が目先の楽しみに耽れば、医者は真実、悲しくなるだろう。
完全な回復を危険にさらしかねないからだ。

彼は、来年も再来年も、一生涯ずっと私にゴルフをしてほしいと思っていた。
だから手術を終えたばかりの私が試合に出ることを認めなかったのだ。

私は医者の奇妙な言葉遣いに感謝するようになった。
「ゴルフなど絶対に駄目です!」と命令されていたら、意固地に反抗したかもしれない。
だが彼はすこぶる個人的な言い方で、それがどういう結果を招くかを示しながら、私に自由な選択を残してくれた。

命令に従わなかったら、深く悲しみます。
あなたの健康を回復させることが私の仕事なのですから、と。

神と罪について考えるとき、医者のイメージを思い浮かべるのが、私にはいちばん役に立つようだ。
医者が私の肉体にすること——— 健康に導くこと———を、神は私の霊になさる。

私は罪を、やかましい裁き人の決めた恣意的なきまりのリストとしてではなく、「自分たちのために」何としても避けるべき危険のリストとして見始めている。

God Bless You!!


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