2023年7月10日(月)

2023年7月10日(月)


『ひねりを加えた利益』

子どものころ、罪について考えるのは恐怖だった。
青年期には嫌悪した。
しかし神を医者や愛情深い親として正確に思い描くことができるようになるにつれて、私の防波堤は崩れていった。

かつては神を、風刺画の不機嫌な爺さんのように思っていた。
だれにも楽しい思いなどさせてやるものかという明確な目的をもって、恣意的なきまりの表をつくりあげた爺さんだ。

今の私には、そうしたきまりが神のためではなく、私たちのために与えられていることがわかる。

親ならだれでも、主として親に都合よく考えられたきまり(「私が電話しているときは黙っていなさい!」「自分の部屋を掃除して。おばあちゃんが来るのよ!」)と、子どものために考えられたきまり(「手袋をしなさい、帽子もね。外は氷点下なんだから。でも、まだ池でスケートをしては駄目!」」との違いを知っている。

神のきまりは主として後者の範疇に入る。
人類の創造主である神は、どうしたら人間社会がいちばん良く機能するかを知っておられるのだ。

この光に照らして十戒を見た。
十戒は、主として人間の利益を考えてつくられた律法だ。

「安息日は人のために設けられたのです。
人が安息日のために造られたのではありません」。
こう言ったときにイエスが強調しておられたのは、この原理だった。

聖書はきわめて実際的な書物だ。
私たちは隣人に情欲を抱いたり、他の人の財産をむやみに欲しがったり、働き過ぎたり、不当な仕打ちをした人々を怒りに任せてやっつけたいと思ったりすることがある。

聖書は、人間がそのような誘惑に遭うことを想定している。
要するに、人間の性質が私たちの触れるすべてのものに混乱をもたらすことを想定しているのだ。

その十戒はどれも否定形で述べられているが、そのような混乱から身を守る盾を提供している。

人間は動物とは異なり、基本的な本能に対して否と言う自由をもっている。
否と言うことによって、私たちはある種の害を避ける。

結局、十戒はこの星の上での人生を、意味のある全体に織りなすものであり、その目的は、私たちが神のもとで平和で健康的なコミュニティーとして生きるようになることだ。

今から300年前、聖書注解者マシュー・ヘンリーは言った。
「神は私たちの利益にひねりを加えるのを喜ばれたのである。
私たちが神の栄光を探し求めながら、本当にそして十分に自らのまことの利益を探すように、と。」

God Bless You!!


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