2023年6月29日(木)

2023年6月29日(木)


『テレビの教会』

テレビの宗教番組は主流派のクリスチャンにとって、地元の教会でしばしば欠落している個人的な信仰に関わる興奮をもたらしている。

番組の方針に強く反対する視聴者の中には、それでも、キリスト信仰を明言できる人たちの新鮮な姿に刺激を受けている人たちもいる。

視聴者がテレビのキリスト教番組の興奮と、受肉した教会のメッセージと働きとを混同するときは危険だ。

派手なテレビと比べると、地域の平均的な教会は明らかに精彩を欠く。
礼拝は退屈でメッセージも難しく、まとまりがないように思える。

そして何より危険であると思うのは、他の人の経験に自らを重ねさせるというテレビの潜在的な影響力かもしれない。

テレビで放映される教会は、泣きじゃくる子ども、落ち着きのないティーンエイジャー、耳の遠い祖父母、眠そうな会衆のいる部屋ではない。

あなたの居間という、ずっと安全で、ずっと落ち着いた環境で礼拝が行われている。

テレビの教会を見ると、「△△のプログラムに参加しませんか」と声をかける人がいない。
「教会学校の中学生クラスに注意を向けてください」と言う人もいない。
「外に出られない人たちのために食事を作ってくださいませんか」と言う人もいない。

そうしたなかで強く求められるただ一つのことは、毎月、感謝の献金を送ることだ。

神の世界に至るどんな良い方法があるか。
電子教会の会員なら、最新の衛星に献金することだと簡単に言いのけるかもしれない。
その人自身がそこへ参加することに大きな意味があるかどうかなどと問うことはない。

電子の福音宣教の驚くべき力と比べれば、一人の人間がささげる礼拝がいかに小さいものであろうかと思うだろう。

聖書はクリスチャンの実際の人生を描いている。
そこには荒野を通る、長く、のろのろとした行程、無様な失敗、苦痛、戦いがあることが記されている。

こうした点は、テレビではほとんど語られることはない。
伝えられるのは、素早く要点だけを論じた前奏曲と勝利の結論だけだ。

その結果、クリスチャンの人生は、常に喜びと成功にあふれたものとして語られるが、実際のところは私たちの予想に反したものなのだ。

視聴者の経験はまちまちだが、人々は次第に惨めになり、苦しむようになる。
あたかも信仰の魔法が解けるかのように。

本質的に、電子の教会は、キリストのからだである教会の口であり、他の部分が欠けているのだ。

God Bless You!!


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