2023年6月24日(土)
『今と時間』
スタンリー・ハワーワスによると、信仰の歩みは忍耐と希望で成り立つものだという。
神との関係を確認するような事態が起こってくると、私たちは二つの美徳を頼りにするものだ。
長期にわたる記憶が形づくる忍耐と、危険を冒す意味があると信仰によって裏づけられる希望だ。
ユダヤ人とキリスト者が常にこの二つの美徳を強調してきたのは、善良かつ忠実な神が宇宙を支配していると信じているからだ、とハワーワスは指摘する。
その信仰は、疑問の影がさしている間も忍耐と希望によって生き続ける。
ハワーワスの言葉を私流に言い換えると、信仰の歩みは過去と未来に生きることで成り立つということだ。
私は、神がすでになさったことを自分の基盤とするゆえに過去に生きる。
神が再びそのようになさるであろうと確信するために、過去に生きるのだ。
目に見えない神と関わることは、ハンデを伴っている。
感覚でとらえられる証拠が現在にないので、後ろを向いて、自分がだれと関わっているかを思い出さなければならない。
神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と自らを紹介するたびに、神に選ばれた民にご自身との歴史を思い出させた。
アブラハム、イサク、ヤコブにも、試練と疑いの季節があった歴史を同じように新約聖書の書簡も、信仰の戦いに必要な道路地図となる聖書を勤勉に学ぶようにと助言をしてくれている。
聖書以上に、これまでの教会が神の忠実さを証ししている。
アウグスティヌス、ジョン・ダン、ドストエフスキー、ユルゲン・モルトマン、トマス・マートン、C・S・ルイスがいなかったら、私の信仰はいったいどうなっていただろう。
くたびれた旅人が道端の標識にもたれかかるように、彼らの言葉を私は幾度となく支えにしてきた。
私は正式な日記はつけていないが、著作が日記のようなものだ。
二十五年前に書いた記事を見つけると、それ以来ほとんど考えてこなかった問題について、自分がどれほど情熱を感じていたかに驚く。
たった今感じ、信じていることを、将来必ずしも感じ、信じているわけではないかもしれないということを、過去のことから認識している。
God Bless You!!
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