2023年6月20日(火)

2023年6月20日(火)


『落ち着きの源』

インドのコルカタを訪れたことがある。
貧困と死と、治療できない人間の問題であふれている場所だ。

そこでマザー・テレサの教えを受けたシスターたちが、地球で最も貧しく最も惨めな人々に仕えている。
コルカタの通りで半死半生で保護された人々である。

シスターたちの献身とその奉仕の結果に、世界の人々は畏敬の念を抱くが、私は彼女たちのもつあるものに、より大きな感動を覚える。

それは落ち着きだ。

もし私が気力の萎えるようなそのプロジェクトに取り組んだなら、慌ただしく走り回り、寄贈者たちに報告文書をファックスし、もっと資金が欲しいと懇願し、精神安定剤をがぶ飲みし、山のようにのしかかる絶望を手なずける方法をつかもうとするだろう。

しかし、このシスターたちは違う。
彼女たちの落ち着きのもとは、仕事を始める前の行為にある。

日の出にはまだ時間のある午前四時、鐘の音と「主をたたえ ましょう」という呼びかけにシスターたちは目を覚まし、床を上げる。

彼女たちは「神に感謝を」と答える。
しみ一つない白のサリーを身にまとうと、列をなしてチャペルに入る。
そこでインド式に床に座り、共に祈り、歌う。

簡素なチャペルの壁には十字架像と一緒に次の言葉がかけられている。
「わたしは渇く」。

彼女たちは最初の「来訪者」に会う前に、礼拝と神の愛に自らを浸すのだ。

コルカタの「死を待つ人々の家」の運営に当たるシスターたちには、慌てふためいた様子が全く感じられない。
関心と思いやりは確かにあるが、できなかったことへのこだわりは見られない。

実際、マザー・テレサは、シスターたちが仕事を始めたとき、祈りと休息のために木曜日を休みにするきまりを作った。

マザーは言った。
「仕事はいつでもここにありますが、休息して祈らないと、落ち着いて仕事をすることができなくなってしまいます。」

いつか自分も彼女たちが具現している聖なる単純さのようなものを得たいと思って祈っている。

朝、神のためだけに生きる恵みを求めるが、電話が鳴ってエゴを満足させるメッセージを聞いたり、読者からの怒りの手紙を開封したりすると、自己を意識するあまり自分の価値と落ち着きが他の人々や状況に決定される状態へと、ずるずる戻っていってしまう。

いや、転げ落ちていくと言ったほうが正しいだろう。

自分が変わる必要を感じる。
そしてこの感覚こそ、変わる可能性がある確かな基盤であるから、進み続けるのだ。

God Bless You!!


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