2023年6月2日(金)
『恵みの定義』
神学者たちは、神は時間の外におられると言う。
芸術家が仕事に使う媒体を選ぶように、神は時間を創造し、しかもそれに縛られることがない。
神は、未来と過去をいわば永遠の現在としてご覧になる、と。
この神の特性についての考えが正しいなら、気まぐれで、移り気で、気難しい私のような人間を「愛された者」などと神がお呼びになる理由を、神学者たちは説明したことになる。
私の人生の年表に神がご覧になるのは、善に向かったり悪に向かったりするぎざぎざ曲線ではなく、まっすぐ善に向かう直線だ。
神の御子の善は一瞬のうちに獲得され、永遠に適用される。
私は、自分の善行と悪行を天秤にかけ、いつも足りないところを発見する数学的な神のイメージをもって成長した。
福音に記されているあわれみ深い寛大な神を、なぜか見失っていた。
その神は、「恵みでないもの」の情け容赦ない律法を打ち砕く方法を探られる。
算術表を引き裂き、「恵み」という新しい数学、英語の中で最も不思議な言葉、複雑で意外な結末をもつ言葉を紹介しておられる。
恵みはいろいろな姿で現れるので、定義するのが難しい。
それでも私は、神との関わりの中で自分なりに恵みを定義してみたい。
恵みとは、神に愛していただくために私たちにできることはもはや何もないということだ。
霊の健康体操や禁欲をどれほど行おうが、神学校で得た知識がどれほどあろうが、正しい改革運動をどれほど行おうが、関係ない。
そして恵みとは、どれほど多くの人種差別、プライド、ポルノ、姦淫、殺人があろうとも、神の愛を減らすことなどできないということでもある。
恵みとは、無限の神がありったけの愛を私たちに注いでおられるということなのだ。
ブレナン・マニングがアイルランド人司祭の話をしている。
ある司祭が田舎の教区を巡回中、道端でひざまずいて祈っている年老いた農夫に出会う。
心動かされた司祭は、声をかけた。
「あなたは神にとても近いところにいますね。」
農夫は祈りをやめると頭を上げ、少し考えてから微笑む。
「ええ、神様は私のことが大好きなんです。」
God Bless You!!
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