2023年6月19日(月)
『注意を傾けること』
風変わりなオーケストラ指揮者から、注意を傾けることを学んだ。
ルーマニアの音楽家セルジュ・チェリビダッケがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とともに、ある年シカゴを訪れた。
チェリビダッケと仕事をしたがるオーケストラは少ない。
演奏会前のリハーサルは四回が通例なのに、十二回から十八回も要求するからだ。
彼は音楽に対して東洋的な手法を用いる。
他の指揮者やオーケストラのように「理想的」な演奏を再現するというよりも、むしろその瞬間の音楽との心ときめく出合いを創造しようとする。
チェリビダッケは71歳で初めて米国の地を踏んだ。
五年後のコンサートでは、演奏台に上るのに助けが必要だった。
このとき彼が選んだのは有名な作品だったが、全く別の曲のように聞こえた。
ムソルグスキーの『展覧会の絵』を、作曲家のつけたテンポ記号を無視し、通常の二倍の長さに引き伸ばした。
各楽曲について考えてはいたが、それぞれを作品の流れに組み込むことよりも、その楽曲の音色の質を引き出すほうにずっと興味があるようだった。
音楽に近づく姿勢は、演奏よりも瞑想に近かった。
注意を傾けると体が反応する。
私はオーケストラホールで体を前に傾け、頭を揺らし、両手を耳の後ろにあてて目を閉じる。
シモーヌ・ヴェイユは、詩人は何か現実的なものに集中し注意を傾けることによって美に出合うと言う。
恋人も同様だ。
内的生活で同じようなことを神に対してできるだろうか。
常に新しい洞察や真理を探す必要はない。
「最もありふれた真理が『たましい全体』を満たすとき、それは啓示に似ている。」
よく考えてみると、私は、瞬間の連続としてというよりも流れとして人生を歩む傾向にある。
予定を組み、目標を設定し、その達成に向けて邁進する。
電話のベルなど予定外の出来事は注意の妨げと考える。
イエスの生き方とどれほど違っていることだろう。
イエスは他者という妨害に、毎日の予定を決定させることが多かった。
そしてローマの隊長であれ、長血を患う女性であれ、目の前にいる人に注意を集中させた。
また、野の花、収穫した麦、ぶどう園、羊、婚礼、家族といった最も日常的な物事から永続的な霊の教えを引き出された。
God Bless You!!
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