2023年6月17日(土)

2023年6月17日(土)


『良きものはみな』

神は素晴らしい贈り物をこの世界に惜しみなく与えておられる。
その贈り物が、満足を与える良いものであり続けるかどうかは、使い方次第だ。

バランスのとれた生き方をするのは、乗馬に似ている。
左側に落ちる危険性もあり、右側に落ちる危険性も同様にある。
乗馬のスリルは、鞍にまたがって初めて味わうことができる。

私が青年期までに出合った教会は、神からの良き贈り物をうまくバランスをとって扱うことに失敗していた。
しかめっ面をして、楽しみや願望を見下していた。

神のことを、この星の上のあらゆる良きものを喜んで造ってくださったお方だと思えるまでには、長い年月が必要だった。

イエスは言われた。
「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためにほかなりません。
わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです」

イエスは指導者層にあてつけて話された。

イエスはこの世界でどうしたら最良に生きることができるかを、もう一つの世界から私たちに教えに来られたのだ。

ところが、クリスチャンはやがて楽しみに否定的だと言われるようになった。
そして自然の欲望を否定すればするほど、「霊的」と考えるようになった。

そのような超霊性を言い広める人たちは、実際は神からの贈り物を中傷していたのだが、使徒パウロはその彼らに辛辣な言葉をぶつけた。

「偽りを語る者たちの偽善」と言い、また「彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。
しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです」と批判した。

神は私たちが欲望を放棄するためにだけ、欲望を備えた私たちを造られたわけではないのは明らかだ。

パウロが主張したように、この世界は神の創造物だ。
私たちを造った神は、いつくしみ深い親のように、私たちに最高のもの、可能なかぎり満足な人生を所望しておられる。

キリスト教が約束している最良のものは、個人的な楽しみ、つまり快楽主義を志向する人生ではない。
むしろ、私たちが創造主の意向どおりに楽しみを理解するよう、人生を秩序づけること還元するのでなく、結びつけることを約束している。

そうでなければ、酒量を決めるアルコール依存症患者のように、破滅に耽溺する危険を冒すことになる。
楽しみを、楽しみを超えたものへの指標と認識せずに、それ自体を目的と考えれば、乱用が生じてしまう。

パスカルは祈った。
「完全なるものは、あなたが私にお与えになった良き願望です。
あなたが良き願望の源であるように、良き願望の目的でもありますように。」

God Bless You!!


a:13 t:1 y:0