2023年6月11日(日)
『砲火を浴びる信仰』
逆説的だが、困難な時代に信仰は育まれ、絆も強められるのかもしれない。
人間関係も、危機に際して強固になることが多い。
私にも妻にも百歳を超える祖母がいる。
祖母たちやその友人たちと話していて、高齢者の思い出話には普遍的とも思われる傾向があることに気がついた。
困難な動乱の時代を懐かしそうに振り返るのだ。
第二次大戦や大恐慌時代の話をするとき、猛吹雪や子ども時代の屋外トイレ、三週間、缶詰のスープと固くなったパンだけを食べて過ごした大学時代の話などを嬉しそうに語る。
結束の強い家族に、その強さの源を尋ねれば、必ずや危機を乗り越えた話を聞かせてくれるだろう。
人々の中にこの原則が働いているのを見て、神との関係という神秘についての理解が一歩進んだ。
信仰は、与えられた関係の信頼の問題に帰着するのだ。
自分は愛する人々を信頼しているだろうか。
神を信頼しているだろうか、と言ったほうがよいかもしれない。
信頼という岩盤の上に立っているなら、最悪の状況でも関係は破綻しないだろう。
キリスト教の思想家セーレン・キェルケゴールは、神の信頼性を疑わせるような信仰の試練について、一生涯探究した。
キェルケゴールは気難しい性格の変わり者で、絶えず心に苦悩を抱えていた。
ヨブやアブラハムのような、非常に苦しい信仰の試練を乗り越えた聖書の登場人物に幾度となく頼った。
試練の渦中にいたとき、ヨブにもアブラハムにも神はご自身と矛盾しておられるように見えた。
「神がこんなふうに行動なさるはずがない。
それなのに、明らかにこうしておられるのだ。」
キェルケゴールは最後の最後に、最も純粋な信仰は、まさにそのような試練から生まれ出るものだと結論した。
自分には理解できない、それでも神を信頼しよう、と。
信仰者にとって信仰の中心は、知的な疑いより個人的関係の危機である。
事態がどうあろうとも、神は私たちの信頼に足る方であろうか。
God Bless You!!
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