2023年6月10日(土)
『収容所の教訓』
1978年の春、テレビで『ホロコースト』という番組が放映されたとき、私の教会は、苦しみを受けたユダヤ人と心を一つにする礼拝を行った。
クリスチャンのための「ヨム・ハショア」(ホロコースト記念日)だ。
子どもたちを含め何人かの教会員が、生き残った人々の思いを読みあげた。
ワルシャワのゲットーにいたチャイム・カプランの日記、ゲットーには蝶々がいないという子どもの詩、当時収容所の医師であったヴィクトール・フランクルの所見、エリ・ヴィーゼルの痛ましい話、ネリー・ザッハの遺体焼却場の煙突の詩、アンドレ・シュワルツバルトの小説『正しい人々の最期』からの抜粋、『クリスチャンはなぜ私たちを憎むのか』。
会衆は静かに座って、朗読に耳を傾けた。
生々しい描写になると出て行く人もいた。
ある友人は、語られた内容を深く受けとめ、礼拝の後で私にこんなことを言った。
「こうしたユダヤ人の声を聞いて感じる痛みと罪意識の中で、何より心に突き刺さるものがある。
ぼくが彼らのためにできることは、共感し、気の毒に思うだけだ。
いちばんの懸念は、自分たちが今、どれぐらいの状況を無視しているか、ということだ。
第二次大戦中のクリスチャンは、もっと早く、決然と行動することができなかったのか、と非難するのは簡単だ。
だが僕たちは今、何かしているだろうか。
最近のカンボジアやウガンダ情勢はどうだ。
僕たちは現地の人々のために礼拝の時をもつべきではないだろうか。」
ユダヤ人強制収容所で起きた事実は、早くも1939年に『ニューヨークタイムズ』紙で詳しく報じられていた。
しかし、その記事を信じた人も、これに反応した人もほとんどおらず、合衆国は2年後に日本から直接攻撃されるまで戦争に突入しなかった。
アウシュヴィッツの外には草原があり、細かい骨が土となって数インチの厚さで覆っている。
そこで焼却されたユダヤ人の骨の残骸だ。
しかし、最近では何百万ものカンボジア人やルワンダ人が殺され、ダフールやコンゴなどで今も多くの人が命を奪われている。
私たちはその人たちのために何をしてきただろうか。
何よりも重要に思われる教訓がある。
正義は外からやって来るということだ。
収容所の犠牲者全員が絶望的な状況にある。
彼らは外部の力による解放を待つことしかできない。
道徳性や勇気、美的センスや希望にどれほど影響を受けたとしても、外部からの力なしには、彼らは生き延びることができない。
圧倒的多数の人たちにとって、生き残ることは、強制収容所が破壊されるか否かにかかっている。
God Bless You!!
a:11 t:1 y:0