2023年5月6日(土)

2023年5月6日(土)


『ゆだねること』

聖霊によって神を知ることの「問題点」は、神がその使命を教会に譲り渡すとき、本当に譲り渡してしまわれた、ということだ。
それゆえに、神を拒否する多くの人は、神ではなく教会が見せた神の戯画を拒んでいるのだ。

なるほど教会は、正義、読み書き、医学、教育、市民権等、様々な問題の先頭に立ってきた。
けれど教会の歴史には、十字軍、異端審問、反ユダヤ主義、女性への抑圧、奴隷貿易を支持したことも含まれている。

しかもそのことを見ているこの世は、教会によって神を判断する。
それは、私たちが永久に恥じ入ることだ。

ナザレのイエスの中に住む神という事実を受け入れるほうが、地域の教会に集う人々や私の中に住む神という事実を受け入れるより、はるかに易しい。

しかし、新約聖書は最初から、このパターンによって神の計画が成就されると主張している。
神の鮮やかな介入がひっきりなしに続くのでなく、欠陥だらけの人間に神の使命を少しずつ代わってもらうというパターンだ。

イエスは、ご自分の教会である私たちがご自身に取って代わるために、自ら死に赴くことをあらかじめ計画しておられた。

イエスが少数の人々にもたらした癒し、恵み、希望、神の愛という福音のメッセージを、今度はイエスの弟子たちがすべての人にもたらすことができるようになるという。

イエスは言われた。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。
しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」。

神は人間の皮膚の奥に撤退し、へりくだって平凡な歩兵たちの中にお住みになった。
そのためだれでも、ときに神を疑い、神を完全に拒否する者も少なくないことは確かである。

この計画が、ゆっくりとした速度で進むのも明らかだ。
神はご自身を規制し、他を圧倒することがない。

教会が奴隷制に反対して結集するまでに1800年を要したが、そのときも抵抗者は少なくなかった。
さらに貧困は至るところに見られる。
戦争や差別も然り。
そして、教会がほとんど手を差し伸べていないところもある。

神は私たちの問いかけを、しばしば問い返される。
「下りて来てください」と神に懇願しても、神はすでにここに、私たちの中におられる。

神が地上でなされることは、教会がなすことと非常に似通っていることを、私たちは渋々ながら認めるだけだ。

要するに、神を御霊として知ることの主要な「問題点」とは教会の歴史であり、あなたや私の霊の伝記なのである。

God Bless You!!


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