2023年5月30日(火)
『悪の巣窟』
ロシアのザゴルスク刑務所は1832年に建てられた。
建築業者は暖房費を抑えるため、地下に石造りの壁を据えた。
私たちは監獄まで四つの門を通り、すりへった石の階段をいくつも下りた。
いちばん下の階にある独房の、むせかえるような悪臭の源に少しずつ近づいて行った。
最初に入った独房の広さは、シカゴの私の寝室ぐらいだった。
ドアが開くと、十代の若者八人が———最年少は十二歳———跳び上がって、こちらを見た。
ベッドは四台だけで、二人で一つのベッドを使っていた。
脚のぐらつくテーブルが唯一の家具だった。
どのベッドにも、汚れた薄い毛布がかけられていたが、シーツも枕カバーもなかった。
部屋の片隅に陶磁器で囲った穴があり、しゃがむ場所を記した足載せ台が二枚置かれていた。
この穴はどこからも丸見えで、トイレと「シャワー」、両方の機能を果たしていた。
といっても30センチほど先にある蛇口から、冷たい水が出るだけの代物だった。
地下の独房の壁のてっぺんに10センチの窓があったが、凍りついていて開かなかった。
天井から吊り下がっているワイヤーの先に裸電球がついていた。
ボードゲームも、テレビやラジオも、気晴らしになるものはなかった。
ザゴルスクは安全を確保するため、囚人を二十四時間独房に拘禁している。
一年、二年、もしかすると五年、これらの少年たちは毎日、その狭い牢獄で動物のようにうずくまり、解放される日を待つのだろう。
彼らのほとんどが、窃盗という微罪で収監されていた。
ソ連最悪の刑務所の所長は献身的で、勇敢ですらある男だった。
政府が食料供給を削減した二年前、この刑務所長は有名なザゴルスク修道院に援助を求めた。
修道士たちは、囚人が食べ物に困らず一冬を過ごせるよう、貯蔵庫から十分な量のパンと野菜を提供した。
その無私の行いに、当時コミュニストだった所長は感銘を受ける。
1989年、所長は刑務所の地下にチャペルの再建許可を修道士たちに与えた。
当時権勢を誇っていた無神論国家のコミュニストの役人による驚くべき大胆な行為だった。
〔5月31日へ続く〕
God Bless You!!
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