2023年5月23日(火)

2023年5月23日(火)


『静かなケア』

困っている人を助けるには、どうすればよいのだろうか。
困っている人たちの恐れを和らげるには、何をすればよいのだろうか。

私が学んできたのは、他者の恐れを静めるには、ただそばにいることがいちばん力強い助けになるということだ。

ヨブの三人の友人を、友の苦しみに無神経な言葉を浴びせたとそしっても、それは当然のことだ。

ところが、あらためてこの記事を読むと、見舞いにやって来た三人は七日七晩、ヨブの傍らに黙って座っていたことがわかる。
そしてその後、ヨブを非難し始めるのだ。

後になってみれば、黙っていた最初の七日間が、彼らがヨブと過ごした最も説得力のある時だった。

苦しんでいる人々を、私は本能的に避けてしまう。
その人たちが自分の窮状を話したがっているか、どうしてわかるだろう。

彼らは慰めてほしいのか、それとも元気づけてほしいのか。
私が一緒にいて、何か役に立てるのだろうか。

私の心はこうした理由づけをこねくり回し、結局、離れてゆくという最悪の行為を取ることになる。

トニー・カンポロが、遺族や関係者へのお悔やみの言葉を携え、葬儀場に行ったときの話をしている。
着いたところは違う葬儀場だった。
老人の遺体が安置され、たったひとりでそこにいた未亡人は、とても寂しそうに見えた。

カンポロはその葬儀に出ることにして、未亡人を車で墓地まで送って行った。
墓地で礼拝が終わり、未亡人と車でその場を後にしたとき、カンポロはようやく、「実はご主人のことを存じあげませんでした」と告白した。

すると未亡人は言った。
「そうだと思いました。お会いしたことがなかったですもの。
でも、そんなことはどうでもよかったのです。」

そしてカンポロの腕を痛いほど強く握った。
「一緒にいてくださって、どれほどありがたかったかわかりません。」

「いちばん助けになったのはだれですか」と尋ねられて、哲学者の名前を出す人などいない。
人はたいてい、静かでつつましやかな人の話をするものだ。

必要な時にそこにいてくれた人、しゃべるよりも聴いてくれた人、時計に何度も目をやったりしない人、抱きしめ、触れ、泣いてくれた人。

その場にいてくれた人、自分のためではなく、苦しむ人のために来てくれた人に、いちばん助けられたのだ。

God Bless You!!


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