2023年5月22日(月)

2023年5月22日(月)


『メガチャーチに行かない理由』

私はメガチャーチの流行には乗らず、あまり注目されていない小さな教会に行くほうが好きだ。

G・K・チェスタトンの『異端者の群れ』に書かれている次の逆説的な意見を読んだとき、その理由が初めてわかった。

「小さな社会〔共同体〕に住む人は、ずっと大きな世界に住むことになる。
……理由は明々白々。
大きな社会〔共同体〕ではわれわれのほうから仲間をえらべるが、小さな社会〔共同体〕ではわれわれのために仲間がえらばれる」。

まさにそのとおりだ!
選ぶことができるなら、自分と似たタイプの人々とともにいることが多い。

大学の学位をもち、スターバックスの深煎りコーヒーだけを飲み、クラシック音楽を聴き、EPA(米国環境保護局)の燃費効率を判断材料に車を購入する人たちだ。

ところがやがて、自分と同類の人たちに満足できなくなってくる。
小さいグループや、小さい教会にいれば、どのメンバーとも付き合わなければならない。

ヘンリ・ナウエンの定義によると、「コミュニティー」とは、共に生きたいと思えない人が必ずいる場所だ。

私たちは最も一緒に生きていきたい人たちに囲まれていることが多い。
そうして形成されるのはコミュニティーではなく、クラブや派閥だ。

だれでもクラブを作ることができる。
しかしコミュニティーを作るには、恵み、共通のビジョン、きつい仕事が必要だ。

キリスト教会は、ユダヤ人と異教徒、男性と女性、奴隷と自由人を対等に扱う歴史上初の団体だった。
使徒パウロは「神のうちに世々隠されていた奥義」について、雄弁に語っている。

多様なメンバーのいるコミュニティーを作ることによって、私たちには世の注目を、そしてこの世を超えた世界からの注目も集める機会が与えられると言った。

悲しいことに、教会はこの課題に必ずしも成功してこなかった。
そう、ビリー・グラハムが言っているように、日曜日の11時は米国でいまだ最も差別のある時間なのだ。

けれども、白人だけの教会や黒人だけの教会にも、年齢、教育、経済的階級において多様な人々がいる。
教会は、私の訪れる場所の中では、様々な世代を一つのところに集めている。

母親の胸にしがみついている幼児、おとなしく座っているべきときに体をもぞもぞ動かしたり、くすくす笑ったりする子どもたち、常に適切な行動がとれる大人たち、説教が長引くと寝入ってしまう高齢者たち。

私は意図的に、自分と同類でないメンバーの集う教会を探している。
小さな教会のほうが、自分と異なるタイプの人に出会いやすいからだ。

God Bless You!!


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