2023年5月18日(木)
『徹底的な変身』
あふれんばかりの信仰に満たされて目覚める朝は稀だ。
むしろ自分は、以前、塩水を入れた水槽で飼っていた熱帯魚に似ている気がする。
その魚はからだの周りに毒性の液嚢を分泌して、近くの生き物に悩まされることなく眠る。
だが、毎朝、乳白色の毒の雲の中で目を覚ましていたのである。
昨日は確固たるものに思えた私の信仰も、一夜にして消え失せ、疑いという毒性のある雲の中で目覚めることがしょっちゅうだ。
「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」とパウロはコリントの人々に尋ねた。
神ご自身が私のうちに住んでおられるなら、私はその知識をもって目覚め、一日中それを覚えて生きるべきだろう。
けれども、なんたることか、私はそのようにしていない。
パウロは別のところで、神は「所有者の印を私たちに押し、手付金、来るべきものの保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」と言っている。
臓器移植の後、医師たちは拒絶反応抑制剤を使って免疫システムを制御しなければならない。
そうしないと、肉体は新しく移植された器官を排除してしまうからだ。
私は聖霊をそうした抑制剤のようなもの、神が移植してくださった新しい身分を投げ捨てないようにさせる、私の中に住む力と見るようになった。
私の霊の免疫システムには、神の臨在が私の中にあること、決してよそ者でないことに、日々注意を向けさせるものが必要なのだ。
新しい身分を吸収するには、意志の行為が求められる。
洋服ダンスから毎日着るものを選ぶように、「自分の心に着せる」ようにして古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を身に着けるようにと、パウロは別の箇所で忠告している。
この類のプロセスには訓練が必要だ。
ある作業から次の作業に慌ただしく移るのでなく、少し立ち止まって、その間の時間をとるのだ。
電話をかける前に、少し待って相手や会話のことを考える。
本のある箇所を読んだ後、少し時間をとって、何を学んだか、どんなところに心を動かされたかを考える。
テレビ番組を見た後、それが自分の人生にどんな意味があったかをちょっと考える。
聖書を読む前に少しの間、注意力の霊が与えられるよう求める。
God Bless You!!
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