2023年4月3日(月)
『自由なパートナー』
神と親しく交わる秘訣を一つの形に還元することなど、だれにもできない。
英国国教会の主教ヒュー・ラティマーは同労者にこう書いた。
「私は恐怖のあまり鼠の穴に入り込もうとすることもあれば、神が慰めをもって再び来てくださることもあります。
神は行ったり来たりなさいます。」
霊的高揚を経験したかと思うと、翌月は荒野をさまようこともある、とイエスはニコデモに言われた。
「風は思いのままに吹きます」。
だからイエスも行ったり来たりなさるのだ。
わが家の裏の丘で、毎春二匹の赤狐が子育てをする。
口笛を吹いて挨拶すると、子狐たちが岩の裂け目から顔をのぞかせ、くんくんと空気をかぎ、用心深い目をきらきらさせて私を見つめる。
中で子狐たちがもみ合っているのが聞こえることもある。
しんとして、眠っているらしいこともある。
あるときニュージーランドからの客人が立ち寄ったとき、彼を狐の巣に連れて行ったが、何にも見たり聞いたりできないかもしれないと言っておいた。
「野生動物だからね」と私は述べた。
「ぼくたちの思うとおりにはならないのさ。
姿を見せるかどうかは彼ら次第だ。」
その日は大胆な若い狐が巣から鼻を突き出し、私の客をわくわくさせた。
数週間後、ュージーランドの家に戻った彼から手紙が来た。
彼はそのときのことを振り返って、奇妙なことだが、私が狐について発した言葉で神を理解しやすくなったと言う。
彼は長いうつ状態にあった。
神が妻や子どもたちと同じように近くにいるように思えることもあれば、臨在を感じず、頼るべき信仰もないように思えることもあった。
「神って野生的だね」と書いてあった。
「ぼくたちがどうこうできる方じゃない。」
「神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
ヤコブは決まり文句のような言葉で書いた。
しかし後半の文言に、時間の条件を設けていない。
ヤコブは、神と親しくするには二者が必要であること、そしてその関係で果たすべき重要な役割がこちら側にあることを思い起こさせる。
ヤコブが言うように、私は心をきよめ、たましいを謙虚にすることができる。
自分に与えられた責任を果たし、あとは神にお任せするのだ。
God Bless You!!
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