2023年4月27日(木)
『二度目のチャンス』
〔4月26日の続き〕
ドストエフスキーは若いころ、復活というものを体験した。
属していた空想的社会主義サークルで、皇帝ニコラス一世への反逆罪に問われて逮捕された。
ニコラス一世は、口先だけの過激な若者たちに、その誤りの重大さを思い知らせようとして、虚偽の処刑を計画した。
銃殺隊が構えの姿勢で立っていた。
囚人たちは帽子をかぶらず、遺体を包む白い埋葬布を着て、両手を背中できつく縛られ、口を開けて見つめている群衆の前で、雪の中を行進させられた。
最後の瞬間に「構え、狙え!」の命令と同時にドラムが鳴り響き、銃の打ち金が起こされ、銃口が掲げられた。
そこに騎兵が駆けつけ、「皇帝の慈悲により、おまえたちには強制労働が課せられることになった」と伝えたのだった。
ドストエフスキーは、生涯この経験から立ち直ることがなかった。
彼は死の淵をのぞき込んだのである。
そして、その瞬間から、ドストエフスキーにとって人生が測り知れないほど尊いものとなった。
「私の人生はいま変わる。
私は新しいかたちに生まれ変わるだろう。」
シベリアに向かう囚人列車に乗ったとき、一人の信仰深い女性から、刑務所で許されていた唯一の書物であった新約聖書を手渡される。
ドストエフスキーは、召しに応えるチャンスを神がもう一度与えてくださったと信じ、抑留中に新約聖書を熟読した。
十年を経たとき、キリストに対する信仰は揺るぎないものとなっていた。
新約聖書をくれた女性にこう書き送っている。
「キリストは真理でないと証明する人がいたとしても、私は真理よりもむしろキリストとともにあろうとするでしょう。」
刑務所は、ドストエフスキーにかけがえのない機会を与えた。
泥棒や殺人者、酔った農夫らの中で生きる悪夢のように思えた経験が、後に『罪と罰』の殺人者ラスコーリニコフのような比類ない性格描写を生み出した。
人間性には本来善良さが備わっているというドストエフスキーのリベラルな見方では、刑務所の仲間たちの中に見た純然たる悪を説明できなかった。
彼の神学は、この新しい現実に適応する必要に迫られた。
だが次第に、こうした囚人たちの中で最悪な人々にも、神の似姿が垣間見えてきた。
ドストエフスキーは信じるようになった。
人は愛されることによってのみ、愛することができるようになるのだ、と。
〔4月28日に続く〕
God Bless You!!
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