2023年4月24日(月)
『不幸な人生』
〔4月23日の続き〕
けれども、きよらかさを渇望するトルストイの思いは常に失望に終わった。
自分の説いたことを実行できなかったのだ。
トルストイの妻はそれを如才なく言い表している。
明らかに偏見のある説明だが。
「彼には本物の温かさのかけらもありません。
彼の優しさは心からのものではなく、ただ自分の原則から来ているのです。
伝記には、いかに労働者たちを手伝って水の入ったバケツを運んだかが書かれるでしょうが、妻に休息を与えたためしがなかったことなど、だれ一人知るはずもありません。
この32年間、わが子に一杯の水を与えることもなければ、五分でも子どもたちの枕もとにいて、働きづめの私を少しでも休ませてやろうという心遣いなどなかったことを、だれも知らないのです。」(ソニアの日記)
完璧を目ざして進んだトルストイのその熾烈な歩みは、平安や静寂の類を生み出すことがなかった。
死の瞬間まで、彼の日記や手紙は、失敗という痛ましい主題に何度も戻り、福音の理想と自らの生活の矛盾という落差をあらわにしていた。
レフ・トルストイは実に不幸な男だった。
彼は当時のロシア正教会を猛烈に批判して、破門された。
自分を高めようとする企てはことごとく失敗した。
自殺の誘惑に抵抗するために、所有地にあったすべてのロープを隠したり、銃を捨てたりしなければならなかった。
トルストイは最終的に、名声、家族、地所、自分自身からも逃亡した。
田舎の鉄道の駅で路上生活者のように事切れたのだ。
こうしたレフ・トルストイの悲劇の生涯から、私は何を学ぶだろう。
数多い彼の宗教関連の作品を読むたびに、神の究極的理想に対する鋭いその洞察に感銘を受ける。
正義の問題、お金の問題、人種問題、プライドや野心といった個人的問題など多くの領域で、福音が問題を解決すると主張する人々がいる。
だが、トルストイが思い出させてくれるのは、それとは逆で、福音は実際、私たちの重荷を増し加えているということだ。
トルストイは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか」というイエスの問いを大真面目に受けとめた。
イエスの命令に素直に従い、喜んで農奴を解放し、持ち物をただで譲ろうとする男を簡単に片づけるわけにはいかない。
トルストイがその理想どおりに生きられたら、そして私がその理想どおりに生きていられたらと思う。
〔4月25日に続く〕
God Bless You!!
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