2023年4月18日(火)
『イエスのほうが』
懐疑論者は問う。
「宗教にそれほど違いがあるのだろうか。
何を信じるにせよ、その宗教に真摯であることが最も大切なのではないだろうか。」
実はそのような「現代的」な問いは、何千年も議論されてきた。
へブル人への手紙は、ユダヤ教と新しいキリスト教信仰とに引き裂かれていた初代教会の人々への返答として書かれている。
慣れ親しんだ伝統的なユダヤ教のきまりを守るほうが良いと思う人たちがいた。
クリスチャンになると、ユダヤ人はローマからの公的保護を失い、迫害を受けた。
その危険を冒すだけの価値が、キリストを信じることにあるのだろうか。
ヘブル人への手紙は、キリストを選ぶ決定的な理由があると主張している。
この手紙全体が「のほうがよい」という言葉を軸に展開している。
イエスは天使やモーセや旧約聖書の仕方よりもよい、と。
この世が提供するどんなものよりもよい、と。
とはいえ、詩篇の壮大な神学を記した後に、ヘブル人への手紙の記者(だれかは不明)は立ち止まり、再考しているかのようだ。
「今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません」。
クリスチャンが逮捕され、拷問を受け、刑務所に放り込まれるこの世界は、本当にキリストに服するということがあるのだろうか。
記者はそこから、神がこの世に降りて来て、人間になられたことが重要だと述べる。
神は魔法を使って人間のあらゆる問題を取り除くことはせず、私たちのだれもが直面する試練にご自分を従わせた。
さらにヘブル人への手紙は、新約聖書の中でも抜きん出てイエスの人間としての性質を語っている。
イエスが地上に来られた二つの大きな理由が二章に書かれている。
第一に、イエスは死ぬことによって、私たちを死の力から解放し、永遠のいのちを得させてくださった。
第二に、イエスは人間が普通に出合う誘惑を経験したので、私たちが誘惑にあうときにも、より良い助けを与えてくださる。
こうしたことは、御使いや遠く天国にいる神にはできないことだっただろう。
実際、イエスは、人間を奴隷状態から解放するという救出の使命をもってやって来られた。
キリストから離れていると、人は絶えず死の恐怖の中で生き、常に自分の失敗や罪に縛られながら生きることになる。
イエスだけが私たちを解放することができる。
だからイエスは、私たちが危険を冒しても信ずるに値する御方なのだ。
God Bless You!!
a:7 t:1 y:0