2023年4月17日(月)
『信仰をもち続けること』
ヘブル人への手紙10章最後の数段落は、ヘブル人のもともとの読者について多くのことを明らかにしている。
彼らはキリストに従って迫害された。
財産の没収、公衆の面前での侮辱、投獄。
初め彼らはそのような迫害を喜び、歓喜すらして受け入れていた。
ところが時が経ち、試練が続くにつれ、気力を失う者たちも出てきた。
こうした意気消沈した人々に向かって、ヘブル人への手紙11章は、「真実の信仰」とは何かを感動的に思い出させている。
信仰を十分に奮い立たせれば、裕福になり、健康になり、どんな祈りも、そのまま聞かれ、満ち足りた生活を送るようになる。
こんなふうに、信仰を、魔法を生む形式とする考えには心をそそられるものだ。
けれども、ヘブル人への手紙の読者は、人生はそのようにきれいな形式どおりに働くものではないことに気づいている。
記者はあえて、旧約聖書に登場する何人かの信仰の巨人の人生を振り返っている。
(ヘブル人への手紙11章は「信仰者列伝」とも呼ばれる)。
ヘブル人への手紙は、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」とそっけなく言いながら、その信仰を記者は、「忍耐」、「訓練」、「気落ちしてはならない」といくぶんきつい言葉を用いて描いている。
信仰によって勝利した英雄たちがいた。
軍隊を敗走させ、剣を免れ、ライオンの餌食にならずに生き延びた。
しかし、不幸な最期を迎えた人たちもいた。
鞭で打たれ、鎖につながれ、石を投げられ、からだを二つに切られた。
11章はこう締めくくっている。
「これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした」。
この章に現れる信仰の姿は、簡単な形式には当てはまらない。
信仰は勝利につながることもあれば、「どんな犠牲を払っても、しがみつく」断固たる決断が求められることもある。
ヘブル人への手紙11章は、一方の信仰をもう一方の信仰より優れたものとして掲げてはいない。
どちらも、神が究極的に支配しておられ、本当に約束を守ってくださるという信仰に基づいている。
それがこの人生で起こるにせよ、次の人生で起こるにせよ。
そのような人たちのことをヘブル人への手紙は次のように述べている。
「神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
神が彼らのために都を用意されたのです」。
God Bless You!!
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