2023年3月28日(火)
『まばゆい光』
ヘンリ・ナウエンは著作の中で、あるパラグアイの家族の話を書いている。
医者であるその家の父親は、パラグアイの軍事政権と人権侵害を批判していた。
現地の警察は腹いせに、彼の十代の息子を逮捕し、拷問のすえ殺害した。
激高した町の人々は、少年の葬儀を大規模なデモ行進とすることを望んだが、父親は別のかたちで抗議の意を表した。
葬式の日、息子の遺体を、監獄で見つけたときと全く同じ状態で皆の前にさらしたのだ。
裸にされた息子の身体には、電気ショックや煙草の火を押しつけられた跡、殴打の跡がついていた。
村人は一列になって、少年の遺体の脇を通り、別れを告げた。
遺体は棺の中ではなく、監獄から持ち出された血まみれのマットレスに寝かされていた。
このグロテスクとも言える方法は、想像できないほどの強烈な抗議となっていた。
これこそ、神がカルバリでなさったことではないだろうか。
人生の不公平さで、神を恨んでいる人は言う。
「苦しむべきなのは、あなたや私ではなく、神だ」と。
悪態(Goddamn)がそのことをよく表している。
いわく、神は呪われよ(God be damned)。
そしてあの日、神は呪われたのだ。
裸のイエスが傷だらけになってかけられた十字架は、この世のあらゆる暴力と不正を露呈させた。
十字架は、私たちがどんな世界に住んでいるのか、神はどのような方なのかを明らかにした。
私たちは最高に不公平な世界に住んでおり、神は犠牲的な愛をもったお方である。
悲劇や失望から免れる人はいない。
それは、神ご自身も例外ではない。
イエスは不公平を免れず、そこから脱する道も示さなかった。
むしろ不公平の真っただ中を通って、反対側へ行かれた。
受難日が、人生は公平なはずだという本能的な思い込みを打ち砕いたように、イースターの朝は、宇宙の謎を解く、驚くべき手がかりをもってその後に続いた。
暗闇から、まばゆい光が輝いたのだ。
大きな苦しみと悲しみのただ中にあって、いつくしみに富む神をなんとか信じようとしている友人が、だしぬけにこう言った。
「神の唯一の釈明は、イースターだ!」
神学的とは言えないし、かなり荒っぽい言葉だ。
けれどもそこには、心に深く刻まれる真理がある。
キリストの十字架は悪を打ち負かしたかもしれないが、不公平を打ち負かしはしなかった。
だからこそ、イースターが必要なのだ。
イースターは、いつか神が物理的な現実をすべて、ご自身の治める本来の場所に回復させるという輝かしいものなのである。
God Bless You!!
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