2023年2月17日(金)

2023年2月17日(金)


『苦難の大学院』

〔2月16日の続き〕

第四段階 「忠実な人は苦しみを求められることがある。」

ペテロの手紙第一には、試練について、この新たな解釈が記されている。
正しく生きる人は苦しみから免れることを期待するとの第一段階からは程遠く、この神学が想定しているのは迫害だ。

「足跡に従う」
それらの信仰者たちは、キリストのように不正な苦しみを受けるだろう。

第五段階 「聖なる無関心。」
使徒パウロはピリピ人への手紙1章に描かれているような、高貴な地位に達した。
そこでパウロは、死んでキリストとともにいるほうがよいのか、しばらくとどまって伝道を続行するほうがよいのか決めかねている。

彼の価値観は混乱しているようにも見える。
明らかに、パウロは牢獄にいた期間を望ましいものと見ている。
その「試練」によって、多くの良い結果がもたらされたからだ。

富、貧困、慰め、苦しみ、受容、拒絶、生や死までも。

こうした状況はどれ一つ、パウロにとって問題ではない。
「最終的に」大切なことは一つだけだ。
キリストをたたえるという何ものにもまさる目標、どのような状況にあっても達成し得る目標だ。

大きな枠組みにきちんと整理しておかないと、一連の聖書の段階を掲げることで当惑する人もいるだろう。
そのような人たちには、第五段階に照らして第一段階を考えることをお勧めしたい。

興味深いことに、パウロは苦しみに対して聖なる無関心となる第五段階に進んでから、第一段階に戻っている。

パウロにとっては、正しく生きる人は苦しまなかったのだ。
少なくとも、どんな永遠の意味でも苦しまなかった。
そして神は痛ましい出来事であれ、喜ばしい出来事であれ、パウロの歩みのあらゆる出来事を用いて、神の国を前進させる手段とされた。

ヘルムート・ティーリケが米国について述べた意見を確認するような、高められた第五段階に至った人にはほとんど会ったことがない。
そのような信仰の人がいたら、国はどれほど祝福されるだろう。

苦難の大学院の授業として目を向けるべきは、パキスタンや北朝鮮やイランのようなところにいるクリスチャンだ。

私たちは第一段階の可能性の議論に、より多くの時間とエネルギーをささげているようだ。
米国があらゆる戦争に勝利を収め、経済が活況を呈した「古き良き時代」を切望していることは確かである。

God Bless You!!


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