2023年2月14日(火)
『恋愛ビジネス』
GNP(国民総生産)がどれほど恋愛に依拠しているか、考えたことがあるだろうか。
恋愛は芸術を席巻している。
ポピュラー音楽専門のラジオ局にスイッチを合わせて、恋愛を歌っていない曲を探してみればいい。
出版界でもゴシック・ロマンスの売れ行きは、他のジャンルを上回っている。
熱い恋愛が筋書きにない昼メロやコメディーなどがあるだろうか。
産業全体が恋愛を活用している。
ファッション、宝石、化粧品業界は、「異性を惹きつけるテクニックを装備しましょう」と誘っている。
「男性をつかまえる」や「女性をハントする」等の表現が、現代文化の実態を言い当てている。
そして私たちは、どんな文化もその点は変わらないと思っている。
ところが、ここに注目すべき現象がある。
私たちのこの地球村では今でも、男女の結婚のほとんどが、ロマンチックな恋愛につきものの、キュンとする胸の痛みを感じたことがなく、結婚後も感じていないというのだ。
私たちが恋愛を当たり前と思っているように、アフリカやアジアに生きる十代の若者の多くは、両親のお膳立てする結婚を当然のことと思っている。
米国など西洋の文化では、相手の魅力に惹かれて結婚することが多い。
だが、魅力的に思えた性質もやがて変わってしまうことがある。
特に体型は年齢とともに変わっていく。
その一方で、思いがけないことが出現する可能性もある。
これに対して、見合い結婚した夫婦はお互いの魅力に基づいて結婚したわけではない。
相手の決断を聞き、長い人生を、それまでほとんど知らなかった人と共にする運命を受け入れる。
それゆえ最も重要な問いが、「だれと結婚すべきだろう」から、「この与えられた相手と、どのような結婚生活をつくりあげていけるだろう」に変わる。
安定した家庭を築く土台がもろいものであっても、西洋世界が自由恋愛の概念を手放すことはないだろう。
けれども、別の文化をもつクリスチャンの話を聞いて、「見合い結婚の精神」がいかに他の性質を変容させるものかがわかってきた。
たとえば、クリスチャンの歩みに何を期待できるか、この精神から学ぶことがあるのかもしれない。
〔2月15日へ続く〕
God Bless You!!
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