2023年12月28日(木)

2023年12月28日(木)


『あなたもそこにいた』

ピューリッツァー賞を受賞した歴史家バーバラ・タックマンは、歴史を書くときに「未来場面の事前挿入」はするべきでないと力説している。

第二次世界大戦中の「バルジの戦い」について、「この結末は知られているが」という文言を入れたい誘惑に抗いながら執筆したという。

実際バルジの戦いに巻き込まれた連合軍は、戦いの行く末を知らなかったのだ。
形勢を見るかぎり、連合軍はもと来たノルマンディーの海岸まで即撃退される可能性が十分にあった。

手に汗握る緊迫感の中で史実を展開させようとする歴史家なら、先に結末を書いて、すべてを知る未来の視点を打ち出すようなことはしない。

そんなことをすれば、緊張感など吹っ飛んでしまうからだ。

読者を思う優秀な歴史家なら、「あなたもそこにいた」ような臨場感とともに、歴史の状況を再現するものだ。
それこそが、イエスについてものを書いたり考えたりする際におおかた生じる問題だ。

私たちはニカイアやカルケドンの宗教会議という、未来場面を前もって挿入するレンズや、イエスを理解しようとする教会の慎重な試みを通して福音書を読んでいる。

イエスは人間だった。
名前と家族をもつガリラヤのユダヤ人で、ある意味では他のだれとも変わらない人間だった。

とはいえ、かつて地球上に生きた人間とは何かが違ってもいた。

「ほかのだれとも変わらない」と「何かが違う」の間のいわば認識論上のバランスについて、教会は五世紀にもわたって活発な議論を交わした。

教会で育った私たち、いや名目上のキリスト教文化圏で育った私たちにとってさえ、このバランスはどうしても「何かが違う」ほうへと傾くものだ。

パスカルが言ったように、「教会は、イエス・キリストが神であったと示すことにも、イエスが人であったことを否定する人々に対してそのことを示すことにも同じく大きな困難を覚えてきた。
だが神であった蓋然性も、人であった蓋然性も等しく大きなものだった」。

私が使徒信条を肯定していることをはっきりさせておこう。
だが拙著においては、できるかぎりイエスの人生を、イエスについてまわった大勢の中の一見物人として、地べたから見たい。

ルターの言葉で言えば、「キリストをできるだけ肉の中に深く引き寄せ」たい。

God Bless You!!


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