2023年12月27日(水)

2023年12月27日(水)


『このキリストとはだれだったのか』

1971年、イタリアの映画監督ピエール・パオロ・パゾリーニの手がけた『奇跡の丘』を観た。

この映画が公開されると、銀幕上のイエスなど認めることのない宗教界の権威ばかりか、パゾリーニの歯に衣着せぬもの言いや、彼が同性愛者でありマルクス主義者であることを知る映画界も憤慨した。

あの激動の時代に青春時代を過ごした者でなければ、パゾリーニの映画の衝撃を理解することは難しいだろう。
あのころの彼の映画には、映画館で嘲笑する群衆を黙らせるだけの力があった。

過激派学生は、反物質主義的で、偽善的ではない、愛と平和のメッセージを不快に思えるほど提唱した人が二千年前にもいたことを知らされた。

パゾリーニの映画を観て、私は当惑しながらも否応なくイエスのイメージを再吟味することになった。
イエスが好んだのは、バイブル・カレッジから追い出されたり大概の教会から拒絶されたりしてきた人々のようだ。

イエスは同時代人の中で、どういうわけか「大食いの大酒飲み」との評判を得ていた。
宗教家であれ政治家であれ、権力の座にある人々から、何かとごたごたを起こす人物、平和を乱す人物とみなされていた。

名声、家族、財産、成功するための旧来の手法を蔑み、革命家のようにしゃべり、行動した。

パゾリーニの映画の台詞がすべてマタイの福音書から取られているという事実は否定できなかったが、伝えているものは明らかに、私がそれまでイエスに対してもっていた考えと合致しなかった。

ちょうど同時期に、スラム地区にコミューン〔訳注=既成社会と異なる価値観をもつ共同体〕をつくった「ヤング・ライフ」のスタッフ、ビル・ミリケンが、『優しいイエスよ、さようなら』という本を書いた。

そのタイトルは、私の内側に起きつつあった変化をうまくとらえていた。

私は当時「ユース・フォー・クライスト」の機関紙であった『キャンパス・ライフ』誌で編集の仕事をしていたが、「要するに、このキリストって何者なんだろうと不思議に思っていた。

ものを書いたり、他者の書いたものを編集したりしている私に、疑問というちっぽけな悪い霊がつきまとっていた。

「おまえはそんなことを本当に信じているのか。
それともただ、信じていれば好都合な公式見解を口にしているだけなのか。
おまえはあの慎重で保守的な立場、つまり現代版のイエスに脅威を感じている集団に加わったというのか。」

God Bless You!!


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