2023年12月26日(火)

2023年12月26日(火)


『映画のイエス』

映画製作者メル・ホワイトからイエスの生涯を撮った15本の映画コレクションを借りてから、イエス探究は新しい方向に動きだした。

セシル・B・デミルによる1927年の無声映画の古典『キング・オブ・キングス』から、『神の呪い』、『綿花畑の福音』のようなミュージカル、きわめて現代的なフランス系カナダ人の視点で描かれた『モントリオールのジーザス』まで、コレクションは多岐にわたっていた。

一つ一つの場面の要旨を確認しながら、これらの映画を注意深く調べていった。
その後二年間にわたり、映画を議論の出発点に置いて、イエスの生涯を学ぶ授業を展開した。

授業の流れはこんなふうだった。
イエスの生涯における重大な出来事にさしかかると、様々な映画の中から注目すべきと思しき7本か8本を選び、それぞれの映画から2分ないし4分のカットを見せる。

滑稽な演出や堅苦しい演出の場面を見せてから、徐々に核心をつく、心を揺さぶるような場面へと移行させた。

教会学校や聖書の学び会に何年も通うと、先の展開が読めるようになるが、同じ出来事を七、八人の映画監督の目を通して見るうちに、教会での学びによってこびりついた古錆が剥がれていった。

解釈の異なる映画もあったので、どれかが誤っているはずだった。
だが、どの映画が間違っているのだろうか。

本当は何が起こったのか。

私のイエスに人間性を取り戻させてくれたのは、本質的には映画だった。
教会で繰り返し唱えられる使徒信条は、キリストが永遠の昔から存在することや死後の栄光について語っているが、キリストの地上での経歴はほとんど無視している。

福音書はイエスの死後何年も経ってから、イースターという最後の出来事からさかのぼって書かれている。
今日の私たちにとって朝鮮戦争が遠いものであるように、福音書も記者たちにとって遠い出来事を報告している。

映画を観ることにより、イエスの生涯を見る私の感覚は、はるか昔のイエスと同時代の人々により近いものとなった。

群衆の端っこにくっついているのはどのようなものだったか。
私ならこの方にどう反応しただろうか。

ザアカイのように夕食に招待しただろうか。
それとも、あの裕福な若い役人のように、悲しげな表情を浮かべて去って行っただろうか。
あるいは、ユダやペテロのように裏切ってしまっただろうか。

God Bless You!!


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