2023年12月24日(日)

2023年12月24日(日)


『降臨』

手足をばたつかせ、目の焦点も定まらない、生まれたばかりの赤ん坊ほど恐ろしくないものがあるだろうか。

王は長い衣を脱ぎ捨てたのだ。
このへりくだりを考えてみよう。

歴史を二分した「受肉」は、人間よりも動物の目撃者のほうが多かった。
そして、受肉の危険性も考えてみてほしい。
キリストの受肉によって、神はご自分を人間から隔てていた「恐れ」という大きな亀裂に橋を架けられた。

だが、その隔ての壁を取り除くことで、イエスは非常にもろく傷つきやすい者となった。
「神を信じる者にとってこの誕生は、もはや神ご自身が私たち人間から安全ではないことを意味する。
そして、それがたぶん、言葉を失うほど恐ろしいクリスマスの暗い側面なのだろう。
神がそのようにしてやって来るので、私たちはいつでも神を拒むことができる。

この赤ん坊の頭蓋骨を卵の殻のように割ったり、それができないほど大きく成長したら、釘で打ちつけたりすることができるのだ(フレデリック・ビュークナー)。

クリスマス。
神はどんな気持ちであられたのか。

もう一度、赤ん坊になることを想像してみてほしい。
胎児の神とは!

あるいは、ナメクジになることを想像してみよう。
たぶん、そのほうがもっと近いのかもしれない。

その日ベツレヘムで、あらゆるものを造ったお方は、無力で頼りない赤ん坊のかたちを取られた。
「ケノーシス」とは、キリストが神としての立場をなくしたことを表すのに使う神学用語だ。

自らを空しいものとすれば、多くの屈辱を受けることになるが、意外なことに、一種の自由も得た。
今まで無限のもつ「短所」について語ってきたが、肉体はキリストがそれらの「短所」なしに、人間のスケールで行動する自由を与えた。

キリストは声で木を枯らさなくても、言いたいことを言えた。
ヘロデ王を狐と呼んだり、神殿でむちを手に怒りを表したりすることもできた。

さらには、「恐れることはない!」と前置きすることもなく、売春婦、目の見えない人、やもめ、ツァラアトに冒された者、どんな人にも話しかけることができた。

God Bless You!!


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