2023年12月23日(土)
『歴史を分かつこと』
多くの人と違って、私はクリスマスに特別ロマンチックな郷愁を覚えることは少ない。
幼いころ、父がクリスマスの数日前に亡くなった。
そのため、クリスマスの記憶にはすべて悲しみの影がさしている。
おそらくこういう理由から、飼葉桶に眠る幼子イエスの絵画や、きらびやかなクリスマスツリーに心動かされることがめったにないのだろう。
しかし、私にとってもクリスマスは徐々に深い意味をもつようになった。
何よりも疑いに対する答え、つまり健忘症の特効薬としてである。
クリスマスにおいて二つの世界が一つになる。
聖書と世界史のテキストを並行して読めば、二つの世界が一つになることはめったにないことに気づくだろう。
教科書は古代エジプトやピラミッドの栄光を記しているが、聖書の出エジプト記に載っているのは二人のヘブル人助産師の名前だけで、当時の国王の名前はない。
教科書はギリシアやローマの業績をたたえているが、そのうち聖書に記されているのはごくわずかで、しかもほとんどが否定的な記述だ。
偉大な文明も、ユダヤ人の間で働かれる神の後ろでは動かぬ背景にすぎない。
しかし、イエスについてはどちらの本も意見を同じくしている。
今朝、パソコンの電源を入れると、ウィンドウズが起動して画面に日付が現れ、福音書と歴史書が共に支持している見解を無言で裏づけた。イエスの誕生は歴史を二分するほど重大な出来事である。
この地球上で起こったことはすべて、キリストの誕生前か誕生後に分けられる。
ベツレヘムのしわの刻まれた丘で、その冷たい暗闇で、前も後も知らない神が時間と空間の中に入られた。
境界線など全く知らないお方が、それを身に負われた。
赤ん坊の皮膚という衝撃的な境界、死すべき存在という不吉な抑制。
「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です」。
使徒はその後でこう述べる。
「万物は御子にあって成り立っています」。
しかし、クリスマスの夜にそれを見た者はいなかった。
彼らが見たのは、初めて使う肺を懸命に動かそうとしている赤ん坊だった。
God Bless You!!
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