2023年12月20日(水)
『恐れるな』
聖書の中で、天使は現れると、ほぼ例外なく「恐れるな!」と言う。
不思議ではない。
超自然的な存在が地球という星と接触するとき、普通それを見た人間は恐ろしくて口もきけずに地にひれ伏すものだ。
だがルカは、怖がらせないかたちで地上に現れる神を語っている。
家畜小屋で生まれ、飼葉桶に寝かされたイエスにおいて、神は私たちが恐れる必要のない近づき方をなさった。
生まれたばかりの赤ん坊ほど恐ろしくないものがあるだろうか。
もう一度、赤ん坊になると想像してみればいい。
言葉も話せず、筋肉をスムーズに動かせず、固い物を食べることも、膀胱のコントロールもできない。
神がご自分を「空しく」された、そのことのしるしである。
聖書によると、イエスは地上で神であると同時に人でもあった。
イエスは神として、奇跡を行い、罪を赦し、死に打ち勝ち、未来を予言することができる。
イエスはそのすべてを行い、周りの人々の中に畏怖の念を引き起こした。
しかし、まばゆい雲や火の柱といった神のイメージに慣れ親しんでいたユダヤ人に、イエスは多くの混乱も引き起こした。
ベツレヘムで生まれた赤ん坊、大工の息子、ナザレから出た男が、どうして神に遣わされたメシアであるはずがあろうか。
イエスの表皮が障害となった。
当惑した懐疑主義者たちが、伝道するイエスについて回る。
だがルカの福音書2章に書かれているのは、神が当初からイエスのアイデンティティーを明らかにしておられることだ。
草原にいた羊飼いの群れはまったく疑わず、天使の歌声から良き知らせのメッセージを聞いた。
高齢の預言者と女預言者もイエスのことを受け入れた。
神殿の疑い深い教師たちさえ驚いた。
神はなぜご自分を空しくして、人間のかたちをとられたのか。
聖書には多くの理由が書かれていて、きわめて神学的な理由もあれば、きわめて実質的な理由もある。
神殿で少年イエスがラビたちに講じている場面に、一つのしるしが現れている。
普通 の人たちが、初めて目に見えるかたちの神と対話をし、論じることができた。
イエスはまず「恐れるな!」と言わなくても、だれにでも———両親、ラビ、貧しいやもめ———話しかけることができた。
神がイエスとなって近くに来られたのだ。
God Bless You!!
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