2023年12月14日(木)

2023年12月14日(木)


『神は心にかけておられるのか』

ヨブはしぶしぶ、神は彼のことも、他の苦しんでいる人々のことも気にかけておられない、と結論した。

ため息をついてこう言った。
「私たちは神についてささやきしか聞いていない」。

詩篇の記者たちは、神が彼らの祈りを聞かれたしるしを、彼らをお見捨てにならなかった証拠を何か下さい、と叫んだ。

「神は心にかけておられるのか。」
この問いへの答え方を一つだけ知っている。
そして、それは私にとって決定的なものだった。

イエスが答えだというのが、それである。
イエスは痛みの問題に哲学的な答え方をしなかったが、実存的な答えを与えてくださった。

なぜある特定の悪いことが起きるのか、その理由をイエスから知ることはできないが、神がそれについてどう感じておられるかはわかる。

イエスは神に顔をお与えになった。
その顔には涙の跡がついている。

聖書を通読するたび、旧約と新約の間にある、とてつもなく大きな違いが照らし出される。
旧約聖書には、疑いや失望の表現が数多く見つかる。
エレミヤ書、ハバクク書、ヨブ記など多くの書の中心がこのテーマだ。

詩篇の約半分は暗く、もの思いに沈んだ調子を帯びているが、驚くほど対照的に、新約聖書の書簡には、こうしたタイプの苦悩がほとんど見られない。

痛みの問題が消えたのでないことは確かだ。

ヤコブの手紙1章、ローマ人への手紙5章と8章、ペテロの手紙第一の全体、ヨハネの黙示録の多くの部分が、この主題を詳しく扱っている。

にもかかわらず、「神は心にかけておられるのか」という胸を突き刺すような疑問はどこにも見当たらない。
詩篇77篇の「神は、いつくしみを忘れられたのか」という告発に似た疑問が一つも見えない。

この変化は、イエスが、使徒書簡を書いた証人たちに答えをお与えになったことによると思う。

イエスを見れば神の顔がわかる。
うめき声をあげるこの星で苦しみの中にいる人々のことを、神がどのように思っておられるのか疑問に思う人は、イエスの顔を見るだけでいい。

イエスに従ううちに、ヤコブやペテロやヨハネの心にイエスの表情が永遠に刻み込まれたのである。

長血を患う女性や、悲しみに沈む百人隊長、やもめの死んだ息子、てんかんを患う少年、目の不自由な老人たちにイエスが接する様子を見ながら、苦しむ者たちのことを神がどのように思っておられるか、知ったのだ。

God Bless You!!


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