2023年12月13日(水)

2023年12月13日(水)


『私は重要な存在なのか』

地元のスーパーのレジに並んで、周りを見回す。

坊主頭で鼻にリングを通した十代の若者たちがスナック菓子を選んでいる。
ヤッピーがステーキ肉とアスパラガス数本とベイクド・ポテトを買う。
背中を丸めた骨粗鬆症の高齢女性が、桃や苺を手に取り、あちこちつぶしながら吟味している。

神はこの人たちの名前をすべてご存じだろうか。
自分に尋ねてみる。
この人たちは神にとって本当に重要な存在なのだろうか。

夕方のニュースで人工妊娠中絶反対運動や反対運動への反対運動が行われている場面を見るとき、こうした行動の原因となった胎児を思い描いてみる。

いつだったか博物館で、人間の発達段階を示す、胎児を入れた容器の陳列を目にした。
毎年、世界中でこうした小さな胎児が約六百万人処分されている。

殺されている、と抗議者たちは言う。
神学者は、どの胎児の中にも神のかたちがあると言う。
子宮の外を一度も見ずに死ぬ六百万の人間を、神はどう考えておられるのだろうか。
彼らは神にとって重要な存在なのだろうか。

小説家レイノルズ・プライスは、全人類が聞きたくてたまらない言葉、それは「万物の創造主が私を愛し、求めておられる」という言葉だと言った。

万物の創造主は、人類という奇妙な種を創り、理解しがたいことに、一人ひとりをご自分の注意や愛を注ぐに値するものとみなされた。

その愛を、パレスチナのごつごつした丘の上で、最後は十字架の上で自ら直接、証明された。
イエスがしもべというかたちで地球を訪れたとき、神の手は、世界で最も小さい人にも大きすぎないことを示された。

その手には、私たち一人ひとりの名前とともに、一人ひとりの傷も刻まれている。
それは、私たちをこれほど大きく愛しておられる神の払われた犠牲だ。

ヨブ記や伝道者の書などにはっきり記されている普遍的な孤独の痛みに圧倒され、自己憐憫に陥っていたことに気づいたときに、最近は、福音書を開いてイエスのなさった話や行動の記事を読むことにしている。

「日の下」にある私の存在が神にとってどうでもよいものだと結論するなら、私は、神が地上にやって来られた主たる理由の一つに矛盾することになる。

イエスは、「私は重要な存在か」という問いに対する真の答えなのだ。

God Bless You!!


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