2023年11月3日(金)
『恵みでないものの臭気』
恵みの香りを放つべく召されているはずのクリスチャンが、「恵みでないもの」の有毒な臭気を発しているのはどういうわけだろうか。
現代の米国にいると、その問いに対する答えが一つ、すぐに思い浮かぶ。
教会は政治問題に翻弄されるあまり、権力のルールで動いているのだ。
だが、それは「恵みでないもの」のルールだ。
公共の場ほど、教会が使命を失う危険性の高いところはない。
クリスチャンが政治に関わる権利と責任を、私は全面的に支持する。
奴隷制廃止、公民権、人工妊娠中絶反対等の道徳的改革運動は、クリスチャンが主導してきた。
今日のメディアは宗教右派の「脅威」を誇張しすぎているように思う。
政治に関わっている、私の知るクリスチャンたちは、メディアの描くカリカチュアとは似ても似つかない。
それでも最近、「福音派」と「宗教右派」という名称が互換性をもつようになってきたことに懸念を覚えている。
時事風刺漫画に描かれるクリスチャンの多くが、他人の人生をコントロールしたがる頭の固いモラリストだ。
「恵みに欠ける」行動をするクリスチャンがいるのは、恐れがそうさせているからだ。
学校で、裁判所で、ときには議会でも、私たちは攻撃にさらされているように感じている。
一方、身近なところでは社会の腐敗を示すモラルの変化も見られる。
犯罪、離婚、若年者の自死、人工妊娠中絶、薬物使用、子どもの貧困、非嫡出子の誕生等に関し、米国は先進国の中で先頭に立っている。
少数派として追いつめられており、自分たちの価値観が絶えず攻撃されているという社会的保守派の思いは、強まるばかりだ。
クリスチャンはどのようにして、恵みと愛の精神を伝えながら、世俗社会の中で道徳観を維持できるのだろうか。
詩篇の記者が表明したように、「拠り所が壊されたら 正しい者に何ができるだろうか」。
私に手紙を送ってきた人々の荒々しい態度の背後にあるものは、神のための場所がほとんどどこにもない世界に対する至極当然な関心だ。
けれどもイエスがパリサイ人に指摘なさったように、道徳観への関心だけでは決して十分とは言えない。
恵みから切り離された道徳主義に解決できるものなど、無きに等しいのだ。
God Bless You!!
a:5 t:1 y:0