2023年11月29日(水)

2023年11月29日(水)


『舞台の中央』

だれもが内側の人生と外側の人生を同時に送っている。

私とあなたが同じイベント(たとえばパーティー)に出たら、そこでの出来事や、参加者については同じような「外側の」事実を家に持ち帰るだろうが、「内側の」見方は全く異なっているだろう。

私の記憶は私のつくった印象に基づいている。
私はウイットに富んでいたか。
あるいは、魅力的だっただろうか。
だれかを不快な気持ちにさせただろうか、それとも、当惑したのは自分のほうだっただろうか。
他の人からよく思われただろうか。

おそらくあなたも同じ質問をするが、それはあなた自身についての問いであろう。

ダビデは人生を違ったふうに見ていたようだ。
その目覚ましい活躍———素手で野生動物を殺し、ゴリヤテを倒し、サウルの猛攻を生き延び、ペリシテ人を敗走させた———によってスターになった。

それでも過去の偉業を顧みて詩を書いたとき、イスラエルの神であるヤハウェを舞台の中央に置く道を見つけたのだ。

「神の臨在を実践する」ことがどういう意味であれ、ダビデはそれを経験した。
神の臨在を表現するのに、高揚した賛美の詩を用いたにせよ、がさつな熱弁を用いたにせよ、意図的に神を人生の細目に巻き込んだことは間違いない。

ダビデは、自分が神にとって重要な存在であると確信していた。
きわどい逃亡を成し遂げた後で、こう書いている。

「主は……私を助け出してくださいました。
主が私を喜びとされたからです」。

ダビデは神に裏切られたと感じたとき、神にそれを伝えた。
何といっても、「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか」と最初に言ったのは彼なのだ。

ダビデは、神は自分との特別な関係を最後まで面倒をみるべきだと主張して、神の責任を問うた。

ダビデはその生涯を通して、霊的な世界は目に見えなくても、剣や槍や洞窟や王座といった「自然の」世界と同じように実在すると心から信じていた。

ダビデの詩篇は、彼自身の日々の生活を、彼を超えた超自然的世界の現実性に向かわせる、意識的努力の記録である。

何世紀も経た今、私たちはその祈りを信仰のステップとして、自分への拘泥から神の真の臨在へと導く道にすることができる。

God Bless You!!


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